今回取り上げるのは、こうした南北の境に位置するバージニア州で起きた、裁判所での銃撃事件である。判決を不服とする被告とその家族が銃を乱射し、5名が射殺された。
これは西部開拓時代の巡回裁判所での話ではない。1912年、アメリカで はT型フォードが年間30万台以上生産され、日本では明治が終わりを迎えた年である。そんな時代に、ノースカロライナ州境に近いバージニア州南部のキャロル郡で、この事件は起きた。
ことは、一人の青年が、地元の催し物で出会った女性にキスをしたことから始まる。女性には付き合っている別の男性がおり、当然の様にいさかいになった。いさかいはその場だけで収まらず、翌朝、街の人が教会の礼拝に集う中で、両者が友人や親族を巻き込んでの乱闘となる。礼拝の場で武器を持ち出した青年とその弟は治安びん乱の罪に問われ、隣のノースカロライナ州に逃亡するが、程なく逮捕された。
引き渡された二人を連行する副保安官と御者の前に、馬で乗り付けて遮ったのが、本事件の主役となるフロイド・アレンだった。彼は、この兄弟の叔父にあたり、アレン家の家父長であり、大地主で商店を経営する地元の名士であった。彼は自分の家族が馬車に縄で縛られているのを見て激高し、道を開けるように指示する副保安官を自分の銃で殴りつけて昏倒させた上、兄弟を解放した。その事件の後、フロイドは兄弟を裁判所に出頭させたが、州検事は公務執行妨害や暴行容疑でフロイドを含むアレン家の数名を起訴した。