今回議会襲撃の話を取り上げる。ただし、2021年の1月6日の襲撃ではない。1954年に起きた、プエルトリコ独立派による議員銃撃事件である。2021年の襲撃に比べると規模は小さいものの、現役の議員が銃弾を浴びたことを踏まえれば、やはり衝撃的な事件だったことは言をまたない。
本題の前に、襲撃に至るアメリカとプエルトリコの歴史を簡単にまとめる。プエルトリコは1508年以降、約400年にわたりスペインの植民地下にあったが、南米諸国独立の動きの中で、1898年、ついにプエルトリコの自治政府が樹立される。だが自治は長続きしなかった。米西戦争中、プエルトリコはアメリカに占領され、戦後の1900年、スペインからアメリカに譲渡されてしまう。以降、プエルトリコはアメリカの一部となり、住民は市民権を得る一方、連邦政府の議員選出は認められない地位となった。1948年には、プエルトリコの独立につながる動きを厳しく禁じた法律が成立する。このようなアメリカの抑圧的なやり方に対して、独立派はプエルトリコの各地で抗議活動を起こすが、いずれも暴力的に制圧された。同年11月には、プエルトリコ独立派の2名が、当時のトルーマン大統領の暗殺未遂事件を起こす。激しい銃撃戦が行われ、警備に当たっていた警察官と襲撃側の一名が銃弾に倒れることとなった。