ポトマック河畔より#02 | 世界が見つめる次期FRB議長人事

本稿が発表される頃には、米国の中央銀行であるFRB(米連邦制度準備理事会)の次期議長は誰かをめぐって 熱を帯びた論争が起きているだろう。今回は、米国経済はもちろん日本経済にも丸紅グループにも大きな影響を与えかねないこのFRB次期議長の選考について考えてみたい。

これは、丸紅グループ誌『M‐SPIRIT』(2013年9月発行)のコラムとして2013年8月に執筆されたものです。 オバマ大統領は2013年10月9日にジャネット・イエレン氏を次期FRB議長に指名しました。

丸紅米国会社ワシントン事務所長 今村 卓

FRB議長を決めるのは大統領

現在2期目のバーナンキFRB議長は、来年1月末の任期満了で退任するとの見方が大勢である。とはいえ、金融市場やFRBとその周辺では、次期議長はイエレン副議長で決まりとの見方が多く、しばらく主要メディアの次期FRB議長人事への関心は盛り上がりを欠いていた。

しかし7月下旬、次期FRB議長の人選をめぐる論争が突然燃え上がった。きっかけは、ワシントンポスト紙の人気ブログに載った「現時点では次期FRB議長の最有力候補はラリー・サマーズ氏」という一記事。しかも情報源はホワイトハウスの候補者選定に関わる関係者であるという。元財務長官とはいえ、金融政策の形成に深く関わった経験のないサマーズ氏など想定外だったFRB内部や主要メディア、ニューヨークの金融市場には、大きな衝撃が走った。FRB内部や市場がイエレン副議長を推しても、オバマ大統領がサマーズ氏の方が適任と判断すれば止めようのないことに気付かされたからである。

興味深かったのは、かかる報道後の他メディアや市場関係者の動きであった。「反サマーズ、親イエレン」が露骨に表れた記事や有識者のコメントが大量に流れたのである。その冷静さを欠いた報道ぶりには、FRB・市場・メディアの自負であった議長人事への影響力が、実は限られると認識させられ、焦りが表れたようにみえた。

とはいえ、彼らの驚きも理解できる。過去、彼らの影響力は実際に大きかった。バーナンキFRB議長までの人事は新任・再任とも、ホワイトハウスの経済チームがFRB内部や市場との意思疎通を通じて絞込み、大統領がその意をくんだ指名をしてきた。大統領と経済チームも、FRBや市場が支持しない人物を議長に指名すれば金融政策の決定に混乱が生じて、政権の経済運営にも悪影響が及びかねないことという警戒感を持って選考に臨んでいた。

金融危機が変えたFRB議長の人選

従来の大統領・経済チームとFRBや市場の相互依存関係を崩したのが金融危機だった。サマーズ氏はオバマ政権1期目に国家経済会議委員長に就任して、深刻な金融危機からの経済立て直しを主導した。サマーズ氏とともに金融危機と戦ったオバマ大統領と経済チームは、サマーズ氏の経済運営の能力に絶大の信頼を寄せている。しかし、市場とFRBにとっては金融危機克服の立役者はバーナンキ議長であり、金融政策に関わっていないサマーズ氏との距離は近くない。

オバマ政権も市場もFRBも、次期FRB議長に求められる役割の理解は一致している。米国経済を安定させるために大胆な超金融緩和政策を講じたバーナンキ議長の後任として、米国経済の安定を保ちつつ超金融緩和政策を終わらせることである。しかし、その議長を誰に託すべきかの意見が合わない。オバマ大統領と経済チームは最も信頼できるサマーズ氏に、FRB内部と市場は近年の金融政策の形成と決定に深く関わりバーナンキ議長を支えてきたイエレン氏にそれぞれ任せたいのである。

しかも市場とFRBとしては、その率直な物言いや過去の舌禍からサマーズ氏の議長就任を、できるかぎり阻みたい。現にワシントンポストの一報の後は、過去にサマーズ氏が行った金融政策の知識に乏しい問題発言などを取り上げる中傷に近い報道が急増した。逆にサマーズ氏とイエレン氏の業績を比較する建設的な報道はほとんどなかった。それだけでなく、FRB議長の人事を承認する上院では、与党である民主党のリベラル派議員が、「(遠い昔の)90年代にサマーズ氏が推進した金融規制緩和が、金融危機を招いた」という説得力を欠く理由を挙げて、イエレン氏を次期議長に推す書簡の取りまとめに動いた。最近のサマーズ氏は、金融規制の強化を支持していたにもかかわらずである。一方で記事の数は少ないが、イエレン氏のFRB議長としての組織運営能力を疑う声も出始めた。その先にあるのはサマーズ氏とイエレン氏の中傷合戦である。

安定した金融政策の運営には、FRB議長に対する金融市場の信認が欠かせない。競争相手の信認を傷付け合う中傷合戦が続くなど、経済の安定が必要な2期目のオバマ政権にとってはあってはならない事態である。それゆえに、7月末に議長人事をめぐる論争はわずか4日間でホワイトハウスからストップがかかった。ただオバマ大統領が秋に新議長を指名すると明言している以上、その前の論争は当然ある。それが中傷合戦に向かってしまうようなら、ホワイトハウスの経済チームは第三の候補の検討を始めるだろう。両氏に後任候補が絞り込まれる場合も、イエレン氏はオバマ大統領との距離、サマーズ氏は金融政策の決定に直接関わった経験の不足という弱点が残る。本稿が発表される頃でも、オバマ大統領がまだ人選に悩んでいる可能性は十分にあるだろう。

そのオバマ大統領の決断は来年2月からの米国の金融政策に大きく影響し、米国経済はもちろん、日本や新興国も含めた世界経済に、さらには国際金融市場にも商品市場にも波及していく。しかも新興国の金融市場や商品市場には、これまで米国の超金融緩和政策によって多額の資金が米国から流入しているだけに、同政策が終了に向かえば資金流出が避けられないという問題もある。そのFRBの金融政策を指揮する次期FRB総裁の人選は、世界を相手にする丸紅グループにとっても非常に重要な問題である。そうした認識を持ってオバマ大統領の決断を見守るべきだろう。