禁酒法は過去のものではない。アメリカ50州の内33州では州内の自治体にアルコールの販売いかんの判断を委ねており、禁酒法施行から100年後の現在でも酒販売になんらかの規制を課している郡や市町村が500以上存在する。Jack Daniel'sの本社があるテネシー州のムーア郡は未だに ”Dry”(酒の販売禁止)だ。
アメリカが憲法で酒の製造・販売等を禁止したのは1920年から1933年にかけてだが、飲酒による家庭内暴力や育児放棄は独立以前からの社会問題であった。また禁酒・節制(temperance)という考え方はアメリカに限らず古くから存在し、当初は道徳観に基づく啓蒙の動きであった。
道徳的な禁酒に対して存在したのは、酒販売の経済効果や酒税による安定的な政府財源の観点からの酒販売の正当化である。こうした経済的な存在感は業界と政界と癒着のイメージを生んだ。禁酒法成立に大きく貢献したのはAnti-Saloon League(ASL)という政治団体だが、彼らは酒が販売されるサロンこそが業界の不当なロビーの場であり政治腐敗を生む、と主張した。ドイツ系アメリカ人を中心としたビール業界はこれに反発したが、1914年に始まった第一次世界大戦(対独開戦)で抵抗は影を潜め、1920年に憲法改正が成立した。