ポトマック河畔より#09 | 揺らぐシークレットサービスの警備体制

今回は、米国の政府要人の身辺警護に当たるシークレットサービスが直面する危機を取り上げる。

これは、丸紅グループ誌『M‐SPIRIT』(2014年11月発行)のコラムとして2014年10月に執筆されたものです。

丸紅米国会社ワシントン事務所長 今村 卓

9月中旬、ナイフを持った元米軍人の男がホワイトハウスの敷地を囲む柵を乗り越え、建物1階の奥の部屋まで侵入した。男が拘束された地点はオバマ大統領の家族の居住スペースの1階上で、一家は不在だったものの、シークレットサービスにとっては大きな失態となった。

しかもこの侵入事件は、シークレットサービス当局にはびこる隠匿体質も露呈させた。当局は当初、男が建物内に足を踏み入れたところで取り押さえたと発表し、10日後にワシントンポスト紙に真相を報じられて批判を浴びた。

同紙は翌日も当局の別の隠匿を暴いた。侵入事件の3日前に、オバマ大統領がエボラ出血熱対策の協議でアトランタのCDC(疾病対策センター)を訪問した際に、犯歴のあるCDCの民間警備員が銃を持って大統領とエレベーターに同乗したことである。シークレットサービスは挙動不審の警備員を疑って銃所持を突き止めていたが、公表を避けた。同紙は二つの告発報道の情報源を示していないが、筆者は大統領を危険にさらし続けても警備体制の不備と隠匿体質を正そうとしない今の当局に業を煮やした組織内部からの働きかけではないかとみている。

さすがに、ここまでシークレットサービスの失態と隠匿体質が露呈すると他のメディアも議会も黙っていない。議会では当局とピアソン長官に対して責任追及と警備体制の見直しを求める声が上がった。そしてピアソン長官の議会の公聴会での証言は説得力もなく、組織と部下を守ろうとする気概も感じさせずで、同長官の辞任やむなしとの認識を超党派で広げただけだった。オバマ政権も長官の証言を受けて更迭に動き、証言翌日には長官が自ら辞任した。

国土安全保障省の傘下への移管が原因か

もっとも、ピアソン長官の辞任だけでシークレットサービスの立て直しが進むはずがない。わずか1年半務めただけの同長官の影響力など限られるからだ。むしろシークレットサービスが機能不全に陥っていった原因として複数の有識者が指摘するのは、2003年のシークレットサービスの国土安全保障省の傘下への移管である。

シークレットサービスは1865年に当時のリンカーン大統領により財務省傘下の「秘密捜査部」として創設され、当初は偽造通貨など金融犯罪の予防・捜査機関だった。その後1901年のマッキンリー大統領暗殺事件を受けて大統領警護が任務に追加され、警護対象も元大統領、大統領選の候補者、他の政府要人などへと拡大していった。その後、2001年の同時多発テロを受けて2003年に多数の連邦政府機関の分散していた警察・捜査・諜報等の関連機関を統合した国土安全保障省が新設され、シークレットサービスも同省傘下に移された。

財務省傘下のシークレットサービスは省内でも特殊な存在だったが、唯一の捜査機関として独立性を保ち、他機関からの干渉や競争も少なかった。そうした環境下のシークレットサービスはエリート意識や使命感に満ちて、報酬は高くなくてもプロ意識が士気を高く保たせる面があったという。人材登用の面でも、小規模だが独立した組織であったゆえに要人警護の現場に圧倒的に存在感があり、長官も大統領警護の経験者が務めてきた。

こうした財務省時代のシークレットサービスの「生態系」が国土安全保障省の傘下への移管で、大きく変わったらしい。唯一の捜査機関という特徴は消え、逆に他の関連機関との競合が起こり、省内での自機関のランク付けや主流・傍流の意識も芽生える。そこで省内の他機関より報酬が低ければ士気の維持が難しくなる恐れもあるが、厳しい歳出削減の圧力の下では報酬引き上げも難しい。人材登用も巨大な国土安全保障省傘下の組織になったため、シークレットサービスの中でも総務・人事など現場以外の発言力が強まるなどの変化が生じた可能性がある。現にピアソン長官は管理部門の経験しかない人物だったがトップに登用された。こうした一連の変化がシークレットサービスの要人警護の現場からエリート意識や使命感を奪い、士気やプロ意識を変化させることを通じて、今の警備体制が不安定になってしまっている可能性は否めない。

新長官の改革にかけるしかない

とはいえ、シークレットサービスを今さら財務省傘下に戻すわけにもいかないし、要人警護という重要な役割とはいえ国土安全保障省内でシークレットサービスだけにエリート意識を持たせるような待遇改善をすることも他機関とのバランス上困難だろう。そうであれば、可能性は限られるとはいえ、現場に自信や誇りを持たせることができる新長官を選んでシークレットサービスの新たな生態系を形成して、警備体制の立て直しが少しでも進むことに期待するしかない。侵入事件後のホワイトハウスの敷地を囲む柵を微妙に移動したように、見た目は地味で無駄のように見えても、さまざまな面でこの組織は変化に取り組む努力を続けるしかないのだろう。