ポトマック河畔より#36 | Nature Calls

これは、丸紅グループ誌『M-SPIRIT』(2021年4月発行)のコラムとして2021年2月に執筆されたものです。

丸紅米国会社ワシントン事務所長 峰尾 洋一

用を足すという行為や行う場所に関して、アメリカでも、聞く者に配慮をした言い回しが多く存在する。筆者が子どもの頃、貨物船に乗っていた父親から教わった英語の表現:Nature calls。「アメリカ人はトイレに行きたいときにこういうんだ」というのが彼の説明だった。それから30年近く経ってアメリカに住むこととなり、そこで出会ったのがNecessaryという単語だ。これはトイレを表す古い表現で、ワシントン近郊のMt. Vernon(初代大統領ワシントンの邸宅)で再現されたものを見ることができる。

だが、こうした言葉遣いの繊細さよりも、日本人がアメリカに住んで気付かされるのは、公共の場、特に駅にトイレが少ないことだ。地方に行けばそもそも鉄道がなく、ガソリンスタンドで事足りるケースが多いが、人が集まり公共交通機関に依存する都会ではこれが問題になる。

筆者の住むワシントンの地下鉄では、トイレは見当たらない。駅員用のトイレは存在し、乗客の要求があれば開放する義務があるが、もちろんトイレの表示はない。ニューヨーク地下鉄は472駅中51駅にトイレがある。ただ、筆者がニューヨークに住んだ8年間、地下鉄のトイレを使おうと思ったことは一度もない。多くのアメリカ人は、日本人の様に、駅に行けばトイレがあるという認識を持っていない。

トイレに行くというのは人間に必須の行為でありアメリカ人も例外ではない。従い都会で生活するアメリカ人は外出中の用足しにさまざまな工夫をすることとなる。ホテル、デパート、食事の際に済ます、コーヒー等小さな買い物をする、通りがかりのお店、工事現場の簡易トイレ等々、さまざまなサバイバル術が存在する。

だが、ホームレスをはじめ、外食やホテル・デパートの立ち寄りができない人々は、それもかなわない。少し前になるが、スターバックスで商品を購入せずトイレを利用しようとした人が店の通報で逮捕される事件が起きた。最終的にスターバックスが謝罪し購入如何に関わらずトイレ使用を認めることとなった。

コロナ感染以降、トイレを設置した多くの小売店が休業を余儀なくされた。困ったのはトラックやウーバーのドライバー達だ。一方、外部から自由にアクセスできるトイレを使わねばならない小売店の従業員が感染の懸念で苦情の声を上げるようになった。

アメリカの公共の場にトイレが少ない理由は幾つか考えられる。ドラッグ使用や売春などの安全上の問題は指摘されるところだ。かつて全米で存在した有料トイレの廃止が公衆トイレ減少に一役買ったという説もある。有料トイレに反発した高校生によるCommittee to End Pay Toilets in America (CEPITA)をはじめとした反対運動のお陰で、70年初頭に5万カ所あった有料トイレは80年にはほぼ消滅することとなった。

設置・維持のコストも原因だろう。ロサンゼルスの自動清掃機能付きトイレは18万2,000ドル。ワシントンの地下鉄に設置された同様のトイレは40万ドルだ。ポートランド市が始めたPortland Looというタイプのトイレは一基9万ドルと安価で、犯罪防止用に個室の上下を格子状にする・回転率向上のために洗面機能を個室外に設置する等の工夫が評価されてはいるが、設置実績は60カ所程度にすぎない。

トイレ問題に対してアメリカの政治が真剣に取り組む気配はない。都会から離れれば公衆トイレは不要であり、政治的な意味合いが低いことが要因だろう。現在17州でトイレ利用法(Restroom Access Act)が施行されている。だが、これは疾患のある者に対して、小売店が店内トイレ使用を拒否できないという法律であり、新たなトイレ設置には繋がらない。コロナ対策・人権に熱心なバイデン政権も、この問題に対しては興味を示していない。個人が重要で、多様化した社会に於いては「自然の呼び声」への反応は個人の仕事で、社会は相手にしないという整理だろうか。