用を足すという行為や行う場所に関して、アメリカでも、聞く者に配慮をした言い回しが多く存在する。筆者が子どもの頃、貨物船に乗っていた父親から教わった英語の表現:Nature calls。「アメリカ人はトイレに行きたいときにこういうんだ」というのが彼の説明だった。それから30年近く経ってアメリカに住むこととなり、そこで出会ったのがNecessaryという単語だ。これはトイレを表す古い表現で、ワシントン近郊のMt. Vernon(初代大統領ワシントンの邸宅)で再現されたものを見ることができる。
だが、こうした言葉遣いの繊細さよりも、日本人がアメリカに住んで気付かされるのは、公共の場、特に駅にトイレが少ないことだ。地方に行けばそもそも鉄道がなく、ガソリンスタンドで事足りるケースが多いが、人が集まり公共交通機関に依存する都会ではこれが問題になる。
筆者の住むワシントンの地下鉄では、トイレは見当たらない。駅員用のトイレは存在し、乗客の要求があれば開放する義務があるが、もちろんトイレの表示はない。ニューヨーク地下鉄は472駅中51駅にトイレがある。ただ、筆者がニューヨークに住んだ8年間、地下鉄のトイレを使おうと思ったことは一度もない。多くのアメリカ人は、日本人の様に、駅に行けばトイレがあるという認識を持っていない。
トイレに行くというのは人間に必須の行為でありアメリカ人も例外ではない。従い都会で生活するアメリカ人は外出中の用足しにさまざまな工夫をすることとなる。ホテル、デパート、食事の際に済ます、コーヒー等小さな買い物をする、通りがかりのお店、工事現場の簡易トイレ等々、さまざまなサバイバル術が存在する。
だが、ホームレスをはじめ、外食やホテル・デパートの立ち寄りができない人々は、それもかなわない。少し前になるが、スターバックスで商品を購入せずトイレを利用しようとした人が店の通報で逮捕される事件が起きた。最終的にスターバックスが謝罪し購入如何に関わらずトイレ使用を認めることとなった。