ポトマック河畔より#05 | 持続不可能な水準に達してしまった所得格差

今回は、米国にとって古くて新しい話題の一つである所得格差の拡大を取り上げたい。
はるか以前から、米国は世界でも所得格差が最も大きな国の一つだったが、中間層以下の人々は、政府に格差縮小を強く求めるとか、富裕層への非難を声高に上げてこなかった。その理由の一つは、アメリカン・ドリームの一種である「アメリカは懸命に努力する者に成功の機会が与えられる国だ」という考えが、幅広く浸透していたことだった。

これは、丸紅グループ誌『M‐SPIRIT』(2014年3月発行)のコラムとして2014年2月に執筆されたものです。

丸紅米国会社ワシントン事務所長 今村 卓

アメリカン・ドリームは幻想?

しかし、そのアメリカン・ドリームが今揺らいでいる。最近の世論調査によれば、「米国は成功するチャンスが均等に与えられない国」と考える人が全体の64%を占め、「与えられる国」と考える人の2倍近くに達した。別の調査では上のアメリカン・ドリームを信じない人の割合が45%に達し、信じる人の54%に迫ってきた。

失望する人が増えた最大の理由は、近年の所得格差の異様な拡大であろう。世帯間の所得格差を示す代表的な指標であるジニ係数は、2012年に過去最大を記録した。過去20年間に所得階層の上位1%である富裕層の所得が86%増えた一方、残り99%は18%しか増えていない。物価上昇分を割り引いた実質ベースでみれば、最低所得層の2012年の平均所得は1968年よりも少ない。この間に上位5%の所得層は約2倍に増えている。しかも金融危機後の格差拡大はより顕著であった。金融危機後の景気回復は、FRBの超金融緩和策と資産価格の上昇に頼らざるを得なかったとはいえ、社会の安定という観点では、このまま持続できる状態でないことは確かだろう。

一方で、所得が順調に伸びた富裕層も、現状に懸念を訴えている。社会全体として膨らむ所得格差への不満が、富裕層に対する非難の高まりを生み、富裕層がスケープゴートになりかねないという不安を感じているのだ。実際、最近の世論調査では「貧困層の支援拡充のために富裕層や企業は増税すべき」という意見が回答の54%を占め、逆に「減税して経済成長を促進すべき」という意見は35%しかない。富裕層が社会全体の尊敬の対象でなくなり、逆に所得階層間の対立が生じつつあるという見方も広がっている。

当然、こうした変化は政治の重要課題にもなっている。従来から格差是正に積極的なオバマ大統領と民主党はもちろん、政府による格差是正を嫌い、経済成長による中間層以下の底上げを訴えてきた共和党も、格差是正を取り上げ始めている。主要メディアも連日、異常な所得格差をさまざまな切り口から報じている。そうした動きが、「格差是正のために最適な政策は何か」という建設的な議論を促進しつつも、社会の富裕層・高所得層に対する不満をあおることにもなっている。

格差是正には地道な努力を続けるしかない

オバマ大統領が今年1月の一般教書演説で最も長い時間を割り当てたのも、所得格差の是正だった。しかし、有効な処方箋はまだ見つかっていない。オバマ大統領も強調し、大統領令でも行使した最低賃金の引き上げは数少ない手段の一つであり、世論は党派を超えて支持している。雇用を減らすだけと否定的だった共和党も反対の声を弱めつつある。しかし、有識者のほとんどは引き上げに一定の効果を認めつつも、所得格差の是正は期待できないと考えている。ミクロでみれば、オバマ大統領が演説で称賛して訪問したCOSTCO(日本名コストコ)のように、小売業平均の2倍強の賃金を従業員に支払い、それが高い生産性に結びついている「成功例」はある。しかし、競争の激しい小売業において、COSTCOが業績をさらに伸ばせば、低賃金の従業員を同社よりもはるかに多く抱えている企業が淘汰される可能性もあり、経済全体で所得格差の是正が実現できる保証はない。

しかも、成熟した高所得国である米国が経済発展を続けるためには、生産性の向上に活路を求めざるを得ず、それは産業の知識・資本を集約して、雇用が生じにくい経済への転換が進んでしまう。例えば、画像を取り扱う業界において、従業員14万人超のコダックが2012年に経営破綻したのに対し、急成長してフェイスブックに買収されたインスタグラムは従業員がわずか13人であった。グーグルのように、従業員が4万人を超える大企業に成長する事例もあるが、それには時間を要し、その前にコダックのような大量失業という混乱が先に発生する。

結局、こうした変化は止めようがないことであり、政治にできることは国民に対する教育や職業訓練などの支援を通じて、変化への適応を促進し、できるだけアメリカン・ドリームをあきらめさせないように支援することであろう。富裕層も社会が変化しつつあることを受け入れ、その社会で尊敬される存在になるために努力することが求められる。それは、古くから米国の富裕層が社会に対して積極的に行ってきたことでもある。幸いにも、これだけ所得格差が広がっても、米国民の過半はアメリカン・ドリームを根強く信じている。紹介したCOSTCOやインスタグラムも、アメリカン・ドリームを信じる創設者と米国社会が創り出したものである。今からでも、こうした望ましい変化が政治と社会に起こっていけば、アメリカン・ドリームは生き続け、所得格差は少しずつだが再び是正され、米国の活力は保たれていくだろう。