ポトマック河畔より#39 | 批判的人種理論

これは、丸紅グループ誌『M-SPIRIT』(2022年1月発行)のコラムとして2021年11月に執筆されたものです。

丸紅米国会社ワシントン事務所長 峰尾 洋一

選挙の形成をも逆転させる

今月(2021年11月)初旬、筆者の住むバージニア州で知事選が行われた。実績もあり、著名で政権とも近く、元知事として実績もある民主党候補と、投資ファンドの元トップで政治経験のない共和党候補の一騎打ち。一ヶ月半前までは民主党の圧勝を誰もが信じていた。だが、9月後半から風向きが変わり、投票日直前には両者の支持率がわずかながら逆転。ふたを開けてみると共和党候補者の当選が決まっていた。

民主党候補が敗れた理由の一つとして、民主党支持者の教師が学校で「批判的人種理論」を教えていたことに対する親の反発が挙げられている。民主党が強いバージニア州で、選挙の形勢を逆転させるほどに反感を買ってしまう批判的人種理論とは何か。

一般的な定義で言えば、人種という概念が、肌の色・髪質・顔の作り等の身体的な特徴によって自然に定まったのではなく、人が社会を形成するにあたって、特定のグループの抑圧・搾取を目的として、人為的に作られたものであるとする理論である。

同理論に従うと、差別目的で人種を「作ってきた」差別的な社会の下で成立した法律や制度では、その社会に根付いた差別問題は解決できないということになる。この一例として、1954年に成立した最高裁の判決(ブラウン判決)を挙げる。この判決は、黒人と白人の人種分離教育(白人の教育の場から黒人を排除する)を定めたカンザス州法を無効としたものだが、同判決の背景に、第二次大戦や朝鮮戦争で国に尽くした黒人復員兵が、人種分離教育に反発して暴動を起こす懸念があった、とする説がある。同判決で人種分離教育という表層的な問題は解決されたが、前提となった「黒人は暴動を起こす」という決めつけ(まさに人種を「作る」行為)は、法律や判決では変わらない。これを解決する為には、国民が差別の本質を認識すべき。これが、この理論を唱える人々の主張だ。そして、認識形成のための具体論として、早い段階での教育に取り入れるという考え方は理にかなっている。

この複雑な理論そのものがバージニアの初等・中等教育に取り入れられていたとは考え難い。むしろ、同理論の影響を何らかの形で受けた、ただし一般的な反人種差別の教育が施されていたというのが実態だろう。一方、この理論が学校で教えられているとする(それを推進する民主党が問題であるとする)共和党キャンペーンの主張が、少なくとも一部の有権者の耳に届き、民主党に対する反感が醸成されてしまった。これは何故か。

自己の否定や教育の懸念まで広がる

まず、この理論が、過去の法律・制度を人種差別の解決になり得ないと切り捨て、アメリカ社会全体を批判する内容であったことが挙げられよう。愛国心の強い者は、これを聞いて、国やそれに属する自己を否定されたように感じたかもしれない。

同理論は社会全体に浸透した問題を解決するという骨太な発想であるが故に、実践に当たっては調整や内部改革よりも外部からの断行が推奨されてきた。仮に同理論の影響を受けた人種教育がなされていたとしたら、過去の経緯や親の意向をくむより、いまだ社会に染まっていない子どもを、半ば強引に(同理論に)誘導する様な手法が採られていたのではないか。程度の差はあれ、そうした手法が親を警戒させた一因の可能性がある。

また同理論の実践の過程で、「数学で一つの正解を要求することは白人が作った基準であり差別」という類の説も唱えられている。これを「正解に辿り着かなくても良い」と解釈した親が、子どもの学力低下を懸念したかもしれない。

自分の子どもの教育という、身近な問題に関して、上のような反発や懸念を抱いた親や有権者が、民主党に対する反対票を投じたという説には一定の説得力がある。

今回の選挙で話題になった批判的人種理論だが、筆者もこれを身近に感じたことがある。普段、親しくしていて、比較的込み入った話もできる黒人アメリカ人と、散歩の話をしていた時のことだ。彼は、散歩の途中、他人の家の庭や門構えで気に入ったものがあっても、立ち止まってしげしげとは見ないという。理由は「見つかると危ないから」。彼と同じ非白人で、自身をマイノリティ人種と思っていた筆者が「分かる分かる」と言ったのに対して彼が放った言葉は新鮮だった。「君は大丈夫なんだ。僕はダメだ」。肌の色次第で、何も悪いことをしていないのに疑われる。少なくとも黒人の彼はそう信じている。

改めてこの問題の難しさを感じた瞬間だった。