ポトマック河畔より#47 | 残り1年を切った米国大統領選挙
~歴史からバイデン大統領の置かれた状況を読む~~歴史からバイデン大統領の置かれた状況を読む~

これは、丸紅グループ誌『M-SPIRIT』(2024年1月発行)のコラムとして2023年11月に執筆されたものです。

丸紅米国会社ワシントン事務所長 峰尾 洋一

大統領は2期務めるのが常識?

筆者がワシントンに赴任した6年前。トランプ政権が誕生して3カ月足らずの頃。「歴史上、1期で終わる大統領は少なく、2期務めるのが常識」という説がよく聞かれた。同時に「何としてもトランプの再選を阻まねばならない」「普通であれば2期だが、トランプ政権は1期で終わらせたい」そんな声も多かった。

この、2期が常識という説だが、実態は少し違う。歴代45名の大統領中で2期8年以上を務めた大統領は14名だ。また、再選を果たしたものの、2期目の任期が4年未満の大統領が3名。これを加えても17名にすぎない。残りは、再選できなかった・2期目に出馬しなかった大統領であり、これが27名。実はこちらの方が余程多いのである。

大統領の任期は2期が上限。フランクリン・ルーズベルトが例外的に4期まで務めた、という話も、半ば常識のように語られるが、この2期上限が憲法に加えられたのは1951年と、比較的最近の話である。それ以前の2期上限の縛りは、初代大統領ワシントンが、2期で勇退し、前例となったものだ。従い、フランクリン・ルーズベルトの「例外」は、法規ではなく前例に沿わなかったにすぎない。さかのぼれば、18代大統領のグラントや26代大統領のセオドア・ルーズベルトも3期目を目指した。ただ、いずれも予備選での敗退や党の方針で断念している。

第二次大戦に巻き込まれないために、という大義名分で3期目、その後は大戦の遂行のために、と大義を書き換えて4期目まで務めたフランクリン・ルーズベルトだったが、こうしたやり方への疑問から、それまでの前例を法令化する動きが起きる。それが1951年、2期上限を定めた憲法修正第22条の成立に結実するのである。

バイデン大統領は再選を目指すのか

歴史をひも解くと、再選がかなわずに1期止まりとなった大統領以外に、予備選パフォーマンスの悪さなどを理由に、本選を待たず自主的に2期目の選挙から撤退した者もいる。貧困撲滅・公民権確立・社会福祉改革等の「偉大な社会政策」を推進した第36代ジョンソン大統領(民主党)は、このパターンである。

ジョンソンは、ケネディ政権時の副大統領であり、ケネディ暗殺を受けて大統領就任。その後1964年選挙で勝利して4年間にわたり大統領を務めた後に、さらに次の再選を目指していた。「偉大な社会政策」という後世に残る実績を残した現役大統領の、予備選勝利を疑わなかったジョンソンだったが、1968年3月、ニューハンプシャー州の民主党予備選で、ミネソタ上院議員のユージン・マッカーシーに42%も票をとられてしまう。(ジョンソンは49%)

同州予備選結果が判明した4日後、人気のあったロバート・ケネディ上院議員が、それまでの現役大統領への忖度を捨てて予備選に参戦。そこから2週間でジョンソンは撤退宣言を余儀なくされるのである。ジョンソンの撤退は、予備選での負け戦だけが原因ではなく、自身の健康問題も存在した。3期目を全うするための体力への自信がぐらつく中での、予備選のパフォーマンスの悪さ。これがジョンソンのキャンペーン撤退につながった。

このジョンソンの例だが、今のバイデン大統領が置かれた状況にも少し被る部分がある。高齢で体力の衰えを指摘する声は消えず、彼の経済政策(バイデノミクス)への評価は低い。現時点、すなわち就任から3年弱の時点で比較すると、直近10名の大統領の中で彼の支持率は最低だ。だが、今の民主党に当時のケネディやマッカーシーに当たる人材は見当たらない。1968年3月と言えば、ベトナム戦争でのテト攻勢の直後だ。いかにバイデノミクスが不人気でも、反戦機運が高まっていた当時と今の環境を比べるのは的外れだろう。そうなると、何か別の要因がなければ、バイデン大統領が再選を目指すというのが最も自然な読みということになる。それでも、当地で米国政治を間近で見ていると、短い期間に想定外のことが起きても驚かないようにはなる。今回は、何が想定外なのか。その辺りをこれから見極めていきたい。