今ワシントンの街中を歩いてもマスクをつける人を見かけるのは稀だ。レストランや小売店でもマスク要求のない場合が多い。ワクチンのお陰で重篤化する患者の数は減り、濃厚接触して多少の症状が出ても検査を受けない者がいる。こうしたコロナへの関心の低下に合わせる様に衆目を集めているのが物価上昇だ。これにはコロナ感染に対して米国政府が採った政策が大きく関連している。本稿ではこれについて考察を加える。
ポトマック河畔より#41 | 強い薬の副作用―米国の対コロナ政策考察
これは、丸紅グループ誌『M-SPIRIT』(2022年7月発行)のコラムとして2022年5月に執筆されたものです。

景気梃入れに総額6兆ドル

まずコロナ対応の政策を概観する。名称を付ければコロナ対策で括られるが、ワクチン開発やテストの整備などの直接的なコロナへの対処の要素は余り含まれておらず、むしろ感染で影響を受ける景気への梃入れに軸足が置かれていた。また米国政府の動きは速く、2.2兆ドルという規模で進められた最初のコロナ対策法案は、感染が本格化した2020年3月の内に成立した。この効果は絶大であり、コロナ起因の景気後退は記録上最短の2カ月で終わることとなった。政府の景気梃入れはその後も続き、総額6兆ドルともいわれる政府の金が投下されることとなった。
この景気梃入れの中には企業向けと家計向けの支援が含まれた。企業には、返済免除条件付き融資が供与された。お陰で金融危機時のような大規模な企業倒産、それに起因する金融収縮は起きなかった。連銀の各種安定化策も奏功し、感染拡大で起きた金融市場の混乱は極めて短期間で収束した。家計にはコロナ手当・失業保険上乗せ・学生ローンの支払停止・家賃補助・児童手当など、手厚い補助が行われた。結果、パンデミックの最中にも関わらず家計収入は増加し、家計の手元流動性は却って高まった。多額の不労所得は消費支出に回り、それがロックダウンで打撃を受けた小売の回復を助けた。
コロナ不況を短期間で抑え込む事に成功した諸政策だったが、一つ問題があった。それは、企業と家計を別々に助けた結果、その間をつなぐ雇用が維持されなかったことだ。企業向けに供与した返済免除条件付き融資は、企業の雇用維持を目的としていた。ところが、企業側は融資実行よりも早く整理解雇を始めており、実際には2,000万人が職を失うことになった。一方、失業の波にさらされた家計だが、政府の手厚い補助を受けて手元流動性が上がり、景気が回復し求人が戻ってきても、人がなかなか仕事に戻らない事態が起きた。さらに過剰流動性で資産価値が膨らむ中、人々が早期リタイアをして労働人口自体も減少した。
2,000万人の失職による物価の上昇

2,000万人が職を失ったが、失業の多くは小売・飲食・娯楽業界などの業種に集中していた。これ以外の多くの高所得・ホワイトカラー層は、解雇もされず、収入も減らず、通勤費も削減でき、余剰で使えるお金が増えた。このお金は最初はモノに向かい、その後のワクチン普及により、次第にサービスにシフトしていった。需要が強まる中、モノやサービスを製造したり提供する側は、前述の事情で雇用の確保が難しくなり、供給能力を減退させていた。畢竟、供給が需要に追い付かない。価格の上昇が始まった。
コロナ感染開始直後の数カ月、小売店の棚がほとんど空の状態が続いた。あれから2年が経ち、棚が空ということは余り見なくはなったが、それでも特定の商品がない、あっても量が極端に少ないケースは今でもみられる。人は2年前の、棚が空になっている光景を忘れていない。棚に残された商品が少なければ、次にいつ入ってくるかわからないという恐怖感から、値段が上がっていても残っているものを買ってしまう。それが棚の隙間を更に広げ、人の恐怖感を煽り、人はさらに値段に目をつぶって買い物をする。これが値上がりを助長する。
この事態を受け、連銀の金融引締めが本格化している。だが、既存の景気梃入れの中には、未だこれから給付可能なものも含まれ、引締めの効果を減らす可能性がある。引締め強化であれば、停止している学生ローンの支払を再開させる、あるいは増税するなどのことも考えられるが、中間選挙を前に有権者の不興を買う政策を実施できるかは不明だ。労働力不足を補うために移民受け入れを増やすことも考えられるが、即効性には疑義が残る。更に、こちらも選挙前に打ち出すのは政治リスクが残る。これらを考えると、今の時点で解消に向かう道筋は想定しづらい。
コロナ感染という、地球を揺るがす規模の危機が起きた。それに対して米国政府は骨太な政策を導入し、景気後退を抑え込んだ。だが、この規模の危機を抑え込めるだけの強い薬を服用すれば、副作用が出るのは自然だろう。足元の物価上昇もいずれは沈静化していくであろうが、過去使われたことのない薬の副作用。これがどうやって収まっていくかを読むのは容易ではない。
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