ポトマック河畔より#44 | 本当のコロナ被害は終わらない

これは、丸紅グループ誌『M-SPIRIT』(2023年4月発行)のコラムとして2023年2月に執筆されたものです。

丸紅米国会社ワシントン事務所長 峰尾 洋一

バックミラーからも消えたコロナ

コロナ感染拡大から3年が経つ。だが、あの緊張感と不安感は未だに記憶から消えることはない。全ては急激だった。数日前まで普通だった町中のレストランやカフェから忽然と人が消えた。事務所に行けなくなった。早朝のスーパーに長蛇の列ができ、ようやく中に入ると見渡す限りの棚が空だった。生活必需品が買えず、フードスタンプ取り扱いの店に行った。そういう店では買い溜めする客が少ないから、という友人のアドバイスだった。事実、そこには不思議なほど品物が残っていた。マスクにも事欠き、ガーゼとゴム紐でマスクを作った。街に出ると、どこから調達したのだろう、ガスマスクをつけて歩く者がいた。アパートのエレベーターの空気が殺伐となった。それまでにこやかに挨拶していた隣人に、距離を取られ睨みつけられるようになった。一触即発。まさにそんな感じだった。

それが今。ここでコロナの残像を見つけるのは困難だ。店はモノで、レストランは人で溢れかえる。マスクを見かけるのは稀だ。イベントでは、人はためらいなく握手し、ハグし、密閉、密集した空間で声を張り上げる。コロナはもはやバックミラーにも映らなくなった。事実、指標を見ればアメリカ経済は思いのほか好調だ。過熱した景気は徐々に収まる一方で失業率は歴史的な低レベルを更新する。バイデン大統領が自らの経済政策を自慢しても、異を唱える者は多くないだろう。

一方、マクロ経済指標から一度目を離して生活実感を見直すと、やはり腑に落ちないことが多い。まず、上昇率は落ちてきたものの、物価は高いままだ。2022年、豚肉は8.7%、鶏肉は14.6%、乳製品は12%、卵は32.2%値上がりした。外食はそこまでではないが7.7%だ。ファストフードの店で、昔は考えられなかったチップを要求される。それも「標準チップ」として20%だ。3年前、2~3年内の航空旅客数の回復を予測したら笑われたものだ。それが今、国内線の航空券は年間12.7%で上昇している。それだけではない。高い値段を出しても欲しいものが手に入り難くなっている。レストランでメニューに載った料理を注文しても平然と断られる。人手不足で作れないからだ。銀行に行って両替しようとしたら現金が足りないと断られる。こちらも現金運搬の回数が減らされたことが原因だ。サービスエリアのレジに人が少なく長蛇の列になる。トイレの清掃も手が回っていない。

膨大な政府給付金による物価上昇

モノやサービスの質は良くならず、価格だけが上がる。消費者から苦情が出るかと言えばそうでもない。文句を言う時間があったら、別の店を探すのがアメリカだ。膨大な政府給付金のお陰で、人はいまだ十分な手元資金を持っている。だから値段が上がっても、消費はなかなか落ちない。その消費の強さの裏側で発生しているのが賃金上昇だ。モノが作れれば・サービスが提供できれば、顧客は買ってくれる。そのためには人が必要だ。だが、目先の金に心配のない労働者は容易に仕事に戻らない。それをかき集めるために賃金が上がる。そのコストがさらに物価を押し上げる。

強い需要と細る労働供給だけで物価が上がり、モノ・サービスの価値がそれに伴わない。金のある今は良いが、長期的に見れば不自然さは拭えない。また働く気の少ない者を賃上げで雇うことの弊害も無視できない。市場動向だけで過敏に上下する賃金。その賃金の多寡だけで成立する労使関係は脆弱だ。売り手市場下では、労働者側は賃上げはじめ多くの待遇改善を実現できてきた。しかしその逆は企業側の足早の整理解雇による費用削減だ。

目先の経済成長と堅調な雇用が、上で述べたような不安定さを覆い隠す。この不安定さの元凶がコロナだとすれば、実は本当のコロナ被害はいまだ終わっていないのかもしれない。