日米両方の生活を比較するとさまざまな相違に気付くのだが、その中の一つがチップの習慣である。日本にも「お心づけ」の概念はあるが、それが必要になる場面は限られ、チップがやり取りされる頻度はアメリカとは比較にならないくらい低いだろう。一方、そこまで浸透しているチップの制度だが、アメリカ人にとっても、誰に対して・どれくらい支払うのかという点については議論が分かれるようだ。インターネットのブラウザに「tipping in the United States」と入力して検索すると、その点を議論するサイトの多さに驚かされる。
筆者がチップに遭遇したのは最初にアメリカ駐在となった24年前のことだ。東京で知り合いになったアメリカ人に、ニューヨークで夕食をご馳走になったのだが、支払いの時に彼が「アメリカでは、サービスがどんなにひどくても15%をチップで乗せないといけないんだ」と呟いていたことを思い出す。発言の真意は不明だが、少なくともチップという制度に対して肯定的ではなかったように思う。追加の出費になるし、サービスへの対価なのに、その質に関わらず一定額を払わされることへの不満を言いたかったのではないか。
アメリカのチップの歴史については諸説あるが、先行するヨーロッパから19世紀前半に導入されたとするものが有力である。当時盛んとなったヨーロッパ旅行先でチップの習慣を見聞したアメリカ人が自らの社会的・経済的地位を示すために始めた、あるいはそういう習慣が身に就いたヨーロッパ人がアメリカに移住してそれを持ち込んだ、といったものである。その後チップが広がった一因は南北戦争だ。戦争を経て、解放された奴隷をできるだけ安価に雇用しようとする動きが始まる。そうした解放奴隷が就いた仕事の多くは今日でいう娯楽・レジャーセクターに属するもので、例えばウェイター・身の回りの世話係・鉄道の荷物運びの類いであった。雇用主は元々奴隷に対してそうだったように、固定賃金をゼロ、収入の全額を顧客からのチップで賄おうとした。
こうしたチップの広がりに抵抗する動きが発生する。ヨーロッパとの対比で階級がないことを誇りとするアメリカ人にとって、チップを払う・受け取る行為は非国民(un-American)であるという発想だ。いずれにせよ、20世紀に入るとその動きが広がり、7つの州でチップ禁止の法律が成立する。第27代大統領となるウィリアム・タフトが1908年の選挙戦中に今後床屋でチップを置かないことを宣言したことも有名だ。しかし、こうしたアンチ・チップの動きにもかかわらず、チップの習慣は広まっていく。州で成立したチップ禁止法は訴訟を受け、憲法違反として1926年までに全てが廃止され、今に続く。アメリカの連邦最低賃金はチップ無しとチップ有りの従業員の二段階で定められている。現時点で、チップ無しで7.25ドル/時、チップ有りで2.13ドル/時だ。雇用主には、チップ有りの従業員がチップ無しの最低賃金を受け取れない場合の埋め合わせ義務があるが、厳密に守られていないケースもあるようで問題視する声がある。