ポトマック河畔より#45 | 有給産休制度を持たないアメリカ合衆国

これは、丸紅グループ誌『M-SPIRIT』(2023年7月発行)のコラムとして2023年5月に執筆されたものです。

丸紅米国会社ワシントン事務所長 峰尾 洋一

産休の歴史とアメリカ

マーシャル諸島・ミクロネシア・ナウル・パラオ・パプアニューギニア・スリナム・トンガ・アメリカ合衆国。この8カ国には共通項がある。有給の産休制度を持たないことだ。世界最大のGDPを誇り、人権にも関心が高いアメリカ。何故ここまで子育てに“非協力的”なのか。

アメリカに話を絞る前に、まず世界的な産休の歴史に触れる。女性の労働力が評価され、出産の問題に焦点が当たるようになったのは第一次世界大戦からだ。戦場に駆り出された男性の代わりに、女性は工場で武器・弾薬を作り、野戦病院で看護に務めた。欧州では授乳の場所や時間を設定するなど、女性を動員する仕組みが導入された。だが1918年に大戦が終わると流れが変わる。帰還兵が仕事に戻り、女性の労働参加は歓迎されなくなった。1919年、国際連盟の姉妹機関として創設された国際労働機関。同年10月の第1回会議は女性の議決権を認めなかった。だがいったん自分たちの労働力や権利を意識した女性たちは、それに対し敢然と立ち上がった。アメリカの女性労働組合や活動家が世界の女性に呼びかけ、働く女性のための国際会議をワシントンで開催した。日本からは渋沢栄一の姪で、スタンフォード・シカゴ大学で学び社会学修士の資格を持つ田中孝子が、4カ月の身重の体で、はるばる日本から参加した。最初は渋っていた国際労働機関だったが、こうした女性たちの声に押され、「産前産後に於ける婦人使用に関する条約」を結ぶ。ここで初めて産前産後合わせて12週間の有給産休の考え方が導入されるのである。

産休の仕組みは第二次世界大戦後、欧州・中南米・アジアで導入されていく。特に自国が戦場となり、経済的に疲弊すると同時に、男性の多くが戦争で命を落とした欧州各国。労働力として、人口減を補う出産の担い手として、女性は重要になった。こうした経済的背景で、出産や育児を促進しつつ女性を労働参加させるための仕組みが発達していった。一方、アメリカは経済も労働人口も打撃が少なかった。戦後、帰還兵に仕事をあてがうために、女性は仕事に就かず、家庭で出産育児にいそしむことが奨励された。

その後、アメリカの女性は男性と伍して社会進出を進めていくわけだが、そこでも産休の議論が進まなかった理由は幾つか考えられる。まず、産休は女性の権利ではなく、ぜいたくや特権と見なす発想が根深く定着していた。個人を大事にし、自らを恃む傾向の強いアメリカで、個人への課税を増やし政府が社会福祉を行うことへの抵抗感は強い。それは社会主義をも想起させ、冷戦時代の対ソ緊張感が、抵抗感を増幅させてきた。また、実態とは異なるが、社会福祉の受益者が黒人などの有色人種に集中しているという思い込みが、産休制度反対の声を生んでいるという意見もある。隣国と地続き1,951マイルの国境を持ち、合法非合法で移民が流入してくる。人口減少・少子化対策で出産支援という感覚も持ちにくい。

超党派が支持しても踏み出せない

こうした逆風の中、アメリカで連邦レベルの産休は1993年にやっと導入される。ただし、12週間の休みに対して職を保障するのみ。無給・従業員50人以上の私企業と政府機関のみ・1年および1250時間以上の勤務実績・75マイル以内通勤、などの条件が付く。

最近では2019年、トランプ大統領(当時)は、一般教書演説に「有給家族休暇の計画を予算に盛り込んだ最初の大統領となることを誇りに思う」という一説を盛り込んだ。続くバイデン政権も、誕生から程なくして産休を含む有給休暇導入を議会に提案した。だが、こうした超党派の動きにかかわらず、今日時点でも具体的な有給産休法案成立の見込みはない。州単位での有給産休導入は可能だが、現時点では6州前後と限られている。

超党派の支持を得ながら、政府主導の有給休暇にかかるコストや、他の社会福祉事業への悪影響を持ち出されると、もう一歩を踏み出せないアメリカ。そういう困難を創意工夫で乗り越えて、出産しつつキャリアアップを図る女性を称賛する傾向もある。「アメリカは改めて世界をリードせねばならぬ」とバイデン大統領は言う。だが、その世界のリーダーが、出産や子育てについては世界のアウトライヤー(はぐれ者)だとしたら? 世界はそのリーダーシップをどう見るのだろうか。解決の難しい問題である。