Scope#40 | 森林資源事業

サステナブルな未来のために、世界中で森を育てる

高く生い茂る草をかきわけながら、植林作業員たちは道なき道を進む。目指す現場は勾配の急な斜面だ。まず、鎌で草を刈って地面を整える。次に、一定の間隔で穴を掘る。そこに、水牛が運んでくる苗木を植えていく。

ここはフィリピン・ネグロス島最大の都市バコロドから車で約4時間の村落。丸紅が2023年9月から植林を進める場所だ。一見すると緑豊かな丘陵だが樹木はなく、生命力の強い草が蔓延る。丸紅はこの地で広大な草地の使用権を取得し、新しいビジネス――森林再生によるカーボンクレジットの創出――の開発に取り組んでいる。目下、100ヘクタールで試験植林を行っており、苗木の種類の組み合わせや作業の効率化など、試行錯誤を重ねながらノウハウを蓄積中だ。次のステージでは10,000ヘクタールまで拡大し、2025年をめどに商業展開を開始する。そこから30年にわたり、年間最大10万トンのカーボンクレジットの創出を目指す。

カーボンクレジットは、ある場所で排出された二酸化炭素などの温室効果ガスを、再生可能エネルギーの利用や森林の保護・再生など、ほかの場所で削減・吸収された分で相殺(オフセット)するという考えに基づいて取引される。植物は光合成に必要な二酸化炭素を吸収し、酸素を放出する。丸紅は森林のもつこの価値に着目し、伐採を目的としない「環境植林」を付加したプロジェクトを世界各地で構想している。フィリピンと同様のプロジェクトは、アンゴラ、マレーシアでも始まっている。

「私たちは人と森の力でサステナブルな未来を切り拓くことを目指しています。森林再生を通じて環境負荷の低減や生物多様性の回復に貢献すると同時に、カーボンクレジットを通じて経済価値も追求していく」。そう話すのは、丸紅フォレストプロダクツ本部の高柳聖一郎だ。荒廃していたフィリピンの試験植林予定地に足を踏み入れたとき、高柳は「生物多様性が失われた世界」を肌身で感じ、衝撃を受けたという。草は青々と茂っているのに、鳥のさえずりが聞こえない。昆虫の姿もない。動物に出くわすこともない――。このプロジェクトでは成長が早い外来種をいっさい使わず、ナラやモラヴェなど6種類以上のフィリピンの固有種を植えている。同時に、繁茂する草もバイオマス(その土地に生息する生物の総量)の構成要素であるため、既存バイオマスを最大限残しながら作業の効率性も確保していく。フィリピンの森としてあるべき姿に戻すというこの手法の立案には、インドネシアで培った知見が活かされている。丸紅は同国に100パーセント子会社であるMHPをもち、ユーカリの産業植林を展開している。

森林を再生して新しい価値を創る、フィリピン初の産学官協働プロジェクト

この森林再生プロジェクトは、丸紅、フィリピン環境天然資源省、フィリピン大学ロスバニョス校森林天然資源学部、そして現地パートナーであるDMCI社が共同で取り組んでいる。こうして産学官がタッグを組んで森林再生を通じたカーボンクレジットプログラムを開発するのは、同国で初の試みだ。丸紅は、プロジェクトの資金調達と舵取りを任されていると同時に、インドネシアとオーストラリアにおける産業植林事業で培った知見を活かして植林現場を管理し、なおかつ排出量取引の知見を活かして環境天然資源省とともにカーボンクレジットプログラムを構築していく。

フィリピン大学ロスバニョス校は、林学、土壌学、分類学、生物測定学、森林流域管理学、森林社会学など多様な分野の研究者を集めてチームを編成し、サイエンスに基づいた技術サポートを提供する。「フィリピンは環境保全対策において失敗が多かったが、こうして民間セクターが参画することで、かつてフィリピンが誇った豊かな自然を取り戻せる。明るい未来が見えてきた」。そう話すのは、同校の森林天然資源学部長マルロ・メンドーサ教授だ。

森林破壊は、台風の通過点に位置するフィリピンが抱える深刻な問題である。国土の約70パーセントを占めていた森林地は1950年代から減少し始め、2020年には約20パーセントまで低下した。樹木が根で吸収し蓄えた雨水は、少しずつ放出されて周辺の小川に流れていくが、近年は多くの森が失われ、多量の雨が降ると河川の氾濫や土砂災害が発生しやすい。「こうした状況を招いた主な原因は、林業者による規制を無視した乱伐です。そして、貧困がさらに状況を悪化させてしまった」とメンドーサ教授は指摘する。生活に困窮した人々が無断で森に侵入し、木を切って農地に換えてしまったのだという。「丸紅との協働は、フィリピンの固有種を使った森林再生の優れたモデルを確立するだけではなく、地域住民に雇用機会を提供し、彼らの暮らしを改善することにもつながります」

植林作業員を束ねるクリスミルド・サラルダは、「このプロジェクトは地域社会からも支持されている」と言う。ミンダナオ島出身で、森林管理の専門家であるサラルダは、以前はMHP社で現場監督を務めていた。「ここは分水嶺なので、森林が再生すれば川の氾濫や土砂崩れを防ぐことができ、近隣で稲作などを行う農家は良質な水源を確保できるようになる」

日本の森林資源を余すことなく活用する

森林の環境価値と経済価値を同時に高めていくプロジェクトを、丸紅は国内でも推進している。日本にはスギやヒノキなどの人工林がたくさんあるが、多くは手入れがされておらず、放置されている。その眠っている資産を掘り起こし、地域社会の発展と環境保全に役立てるために、国が運営する「J-クレジット制度」を活用したカーボンオフセットに取り組んでいるのだ。たとえば間伐をすれば、残った木はより多くの光を浴びて成長が促進される。こうして適切に経営管理された森林において創出される二酸化炭素の吸収量を国にクレジットとして認証してもらい、それを取引することで生まれる利益を森林所有者に還元していく。

これは、森林を保有する自治体や私有林を管理する森林組合などと協働するプロジェクトである。間伐をはじめとする森林施業内容を示す森林経営計画の策定と実施、および登録した森林のモニタリングは自治体や森林組合が担う。丸紅は登録申請を行い、テクノロジーを活用して登録林のモニタリングを支援する。そして、クレジットの販売先を開拓する。「それぞれの力を組み合わせることで森林の価値を最大化させ、脱炭素と地球温暖化の抑制につなげていきたい」。そう抱負を語るのは、フォレストプロダクツ本部の大林成美だ。

多くの森林を抱える地域は、いくつかの共通の問題に直面している。最大の問題は、木材価格の低迷により林業の採算が悪化し、森林所有者が林業への関心を失っていることだ。「持っている山を負の財産と捉える人が多いのです。そこをなんとか変えていきたい」。そう話すのは、丸紅とともにJ-クレジットのプロジェクトに取り組む白神森林組合(秋田県能代市)の加藤正樹氏だ。木を売らなくても適切に管理すれば森林が収益を生むこと、公的な助成金などの利用により手入れにはあまりお金がかからないことなどを説明し、J-クレジットの登録申請につなげていきたいという。

能代市も約200ヘクタールの市有林を活用し、J-クレジットの登録申請を進めている。「クレジットを発行して、しっかり販売する。その実績ができれば、森林所有者の意識も変わる」。そう話すのは、能代市農林水産部林業木材振興課の石井義仁氏だ。「我々は目の前の課題にしか目が向かないが、世界的なネットワークをもつ丸紅は我々にない発想を持っている。こうして新しい風をどんどん能代市で吹かせてくれれば、我々が地域の課題を新しいアプローチで解決していくことができます」

森は、そこにあるだけで価値がある――。この小さな気づきによって、森林資源が最大限に活かされ、その利益が所有者や地域社会に還元されるという流れが生まれる。大林は、そう確信している。「そのような循環サイクルができれば、日本の林業が抱える課題の解決につながる。少しずつ前進していくような、そんな未来になっていたらいいと思います」

(本文は、2023年9月・10月の取材をもとに作成しています)