Scope#35 | 無限の大海原へ~総合商社の船舶ビジネス

命名の儀式を終え、スポンサー(支綱切断者)が特製の銀の斧をふりおろすと、支綱につながっていたボトルが左舷にあたって砕け、シャンパンが勢いよく流れ出た。直後にくす玉も割れ、色とりどりのリボンが舞い落ちた。船の誕生を祝う命名式の様子である。

盛大な祝福を受け、香川県丸亀市の造船所から最初の寄港地であるバンクーバーへ向かって大海原へゆっくりと乗り出していく生まれたてのFederal Illinois号を見送る関係者のなかに、Fednav Asia Ltd.の中川茂基社長の姿があった。

「船の商売をやっていて、いちばんいいのは、ロマンがあることですね」。中川社長は、穏やかな笑顔でそう語る。「自分たちの努力が、船として現実化する。それに、皆さんが一生懸命造ってくれた船だから、やっぱりパフォーマンスもいい。そんな船が出航する瞬間は、自分たちが取り組んできた努力が報われたという思いがあって、感動します」

Federal Illinois号は、丸紅のグループ企業であるMMSL Pte. Ltd.(シンガポール)が、海運会社であるFednavとの間で定期用船契約を結んでいる。両者が契約で定めた範囲内にいつ、どこへ、なにを運ぶかという意思決定は、オペレーターであるFednavが自由に行うことができる。一方、乗組員の配乗や船舶管理などの航海の安全確保は、MMSLが担っている。

丸紅グループでは、ばら積み船を中心に50隻の外航船を保有している。これらの外航船は世界中の海運会社に貸し出され、穀物や鉄鉱石をはじめ、様々な荷物を運んでいる。この事業は「自営船事業」と呼ばれ、丸紅が手がけるビジネスの一つである。

「自営船事業もほかのビジネスと同様に、我々商社だけでは成り立ちません。造船所、現場監督、荷主、船主、オペレーター、金融機関など異なる立場、役割の人がいて、初めて成り立つものです」。そう話すのは、船舶プロジェクト推進室で事業企画チーム長を務める飯泉宏之だ。「しかしながら、当然そこには様々なギャップが存在しており、我々は満足、納得する解を模索しながらそれら溝を埋め、一つのプロジェクトを完成させていかなければなりませんし、それこそが総合商社の使命だと思います」

船を通して世界がつながる

Federal Illinois号は63,000載貨重量トンのばら積み船で、海運ビジネス一筋に34年というFednavの中川社長が「One of the best」と絶賛する、今治造船最大のヒット商品「ニュー・アイスタ—」だ。第一世代の「アイスター」を含め、同シリーズの建造数は200隻を超える。ニュー・アイスターは、第一世代のアイスタ—と比較して積載能力が2,000トン以上増した一方で、新たな省エネ技術の採用により、燃料消費量は約1割削減されている。

1901年に創業し、2003年から建造日本一の座を保持する今治造船は、瀬戸内に10の造船所を持ち、年間90隻以上の船舶を造っている。この地域は1年を通じて温暖で、入り組んだリアス式海岸は水深が深くて波が穏やかなため、大型船の造船に適している。

同社は地場産業を守ることを使命に掲げ、単独での存続が難しくなった瀬戸内界隈の造船所をM&Aによって系列化し、規模を拡大してきた。一方で、自律運航船の開発など、次の時代を見据えたテクノロジーや設備にも、積極的に投資している。

丸紅が手がけているビジネスには、船舶トレード事業——造船所、船主、用船者のニーズを叶える組み合わせを考え、仲介する——もある。今治造船と丸紅は、取引が始まった1970年代から、ともに多くの新造船を手がけてきた。近年では、台湾の物流大手エバーグリーンから、世界最大級の2万個積みをはじめ、大小様々なコンテナ船を受注し、建造している。

「これは、丸紅が台北に船舶の駐在員を長年にわたって置き、台湾のマーケットに入り込んで、その付き合いのなかから生まれた商売です」と、今治造船の檜垣清志専務は言う。「総合商社は情報に対して常に高いアンテナを張り、世界各地に駐在員を置いて豊富な情報を持っているため、当社にとって、海外顧客との取引を進める上で欠かせない存在です。また、丸紅グループ向けに38,000トン型から84,000トン型のばら積み船の建造をさせていただいていることもあり、丸紅グループは当社にとって大事なパートナーです」

乗組員との信頼関係が安全を支える

「港に停泊していれば、船は安全だ。だが、船はそのためにつくられたのではない」

プログラミング言語の母と言われたコンピューター科学者で、米国海軍准将だったグレース・ホッパーがよく口にした言葉だ。彼女は新たな挑戦を航海に例えて人々を鼓舞したが、これは商船の運航にもあてはまる。貨物を積み下ろしたら、時間を無駄にせず新たな荷物を積んで次の港へ向かう。もちろん、航海を安全に続けられる状態に船が維持されていることが、大前提だ。

自営船が建造された後の丸紅グループの使命は、船舶の堪航性(たんこうせい/航路で予想される危険に耐え、安全に航行できる能力)の保持だ。MMSLの運航管理チームがこれを支える。世界の海運業の中心であるシンガポールは、高い専門性を持つ人材が豊富なため、自営船の運航管理を行うには適している。

「船を正しく安全に航行させるためには、多くのことを確実に行なわなければなりません」そう話すのは、MMSLでテクニカル・ディレクターを務めるマデュー・シェットだ。「船はまず港に入り、荷物を安全に積み下ろさなければなりませんが、そもそも船を入港させること自体、容易ではありません。進路が明確な陸上とは違うので、港へのアプローチにあたっては、多種多様なデータが必要です」

安全な航行に関する国際的な規則に加えて、国や地域によってまちまちな出入港の手続きや規制が存在する。これらを確実に遵守するために、MMSLは世界中を航海する船の動きを、すべて監視している。

些細なことでも船長がすぐに報告するような信頼関係の構築が、運航管理においてもっとも大切なのだと、シェットは強調する。信頼関係の構築こそ、乗組員の安全を守ることに直結するからだ。「乗組員に安心してもらうこと、そして我々はあくまでも彼らをサポートする立場であることを、わかってもらうことがカギです」

人手不足は、海運業界も例外ではない。同じ船に同じ船員が長期間継続して乗船し、運航を行えば、船の安全かつ効率的な運航につながるが、船員は契約ベースで雇用されるので、MMSLでの仕事に満足できなければ、他の会社の船へ移ってしまう。「どの船員にも個性があり、能力も違う。彼らに力を発揮してもらうためには、我々も相当な努力が必要です」とシェットは話す。船員の募集は外部の企業に委託しているが、MMSLが求める安全管理基準を正しく理解してもらうためにトレーニングを実施し、船員と直接交流する機会を頻繁に設けている。「家族」の一員であると感じてもらうための努力が実り、乗組員の顔ぶれは定着している。

船という大きなチームの一員として

資源の多くを輸入に頼る日本は、重量に換算すると海外貿易のほぼ100パーセントを、海上輸送でまかなっている。時代が変わっても、海運ビジネスに対する需要はつねにあるが、市況に大きく左右されるため、この業界は浮き沈みが激しい。「長期的視野で本当にお客さまのためになるのか、我々のためになるのか。これを自問することをモットーにしています」と飯泉は言う。

トレード事業と自営船事業。そのどちらにも偏っていないことが、丸紅の強みであり総合商社たるゆえんであると、飯泉は語る。みずから保有・運航することで得た知見はトレード事業に還元されるだけでなく、お客さまのビジネスにも良い結果をもたらすからだ。

新人の頃に見送った最初の船を、飯泉は今も鮮明に覚えている。「自分が関わったのは、ほんの小さな一部にすぎませんが、大きな船のチームの一員になれたことが嬉しかった。新造船の出航を見送る時は、いつもそういう感情がこみあげてきて、明日への活力になるんです」

(本文は、2019年10〜12月の取材をもとに作成しています)