ポトマック河畔より#30 | アメリカへの「忠誠の誓い」

これは、丸紅グループ誌『M-SPIRIT』(2019年10月発行)のコラムとして2019年8月に執筆されたものです。

丸紅米国会社ワシントン事務所長 峰雄 洋一

アメリカに最初に来てしばらくした頃に参加した、地域の企業対抗5キロマラソンの開会式でのことである。主催者のあいさつのあと国歌斉唱となった。すると周りにいた参加者は誰に指示されるまでもなく帽子を取り背筋を伸ばし、右手を左胸に置いたのである。特段に国の催し物でも何かの記念日でもない場面での国歌斉唱自体も新鮮な感覚だったが、さらに胸に手を当てて国歌に敬意を表するというこの国の習慣は、30歳過ぎまでアメリカに来たことがなかった筆者の目にはとても新鮮に映った。

この国では愛国心という概念は身近である。今回取り上げる「 忠誠の誓い」もその一つだ。この「忠誠の誓い」とはアメリカ合衆国への忠誠を表す宣誓であり、以下のような文言になっている。「私はアメリカ合衆国の国旗、並びにその国旗が表すところの共和国、全ての民のために自由と正義を備え、神の下に唯一分割すべからざる一国家であるこの共和国に忠誠を誓います」。この宣誓を行う際は合衆国国旗に顔を向け、起立し、帽子を取り、右手を左胸に当てて暗唱すべきとされている。子供が公立の小学校・高校に通う知人たちによれば、彼らは始業前にこれを暗唱しているという。

現代に続く「忠誠の誓い」は1892年に牧師でありキリスト教社会主義者であったフランシス・ベラミーが起草した内容が元といわれている。現行の内容はベラミー版と幾つかの点で異なる。当初は「アメリカ合衆国の国旗」ではなく「私の国旗」とされていた点と、「神の下に」という言葉が含まれていなかった点だ。ベラミーはこの宣誓が他国でも使われることを想定していたが、後に「合衆国」さらに「アメリカ」という言葉が挿入されアメリカ固有のものに変わっていった。さらに1954年の冷戦下、国家無神論を唱えるソ連への対抗が一因となり「神の下に」が挿入されることとなった。

この国家への「忠誠の誓い」自体は過去さまざまな場面で問題を引き起こしている。1943年、宗教上の理由で偶像への崇拝(ここでは国旗に対する忠誠の誓いの暗唱)を拒んだ生徒とその親に対して、公立学校は暗唱を強制できないという判決が連邦最高裁で下された。この判決は合衆国憲法修正第一条の「言論の自由」文言によるものだ。以降、公立学校で生徒に「忠誠の誓い」を強制することは違憲となった。これ以外にも「神の下」という文言に対して無神論の生徒や親が暗唱を拒否するケースも出てきている。挿入された背景の一つとして国家無神論のソ連への対抗があったわけだが、その結果として無神論を唱える者の抵抗を呼ぶ結果となった事になる。

この「忠誠の誓い」暗唱に係る手続き・規則は、ハワイ・アイオワ・バーモント・ワイオミングの4州を除く46の州で定められている。州ごとで違いはあるものの、いずれも連邦最高裁の判決を踏まえて公立学校の生徒への強制はできない内容になっている(私立学校では学校の方針で強制することが可能)。例えば、暗唱を受け入れられない生徒がいた場合には同生徒は起立ないし着席し、暗唱の邪魔をしないようにしている、などの内容だ。この暗唱免除については州ごとに対応が異なっており、免除の判断に際しては、生徒本人の意向だけでなく親・保護者の意向が必要という判断が下されているケースもある。

2018年に行われた「良き市民であるために重要なこと」に関する調査(Pew Research Center による)によれば「『忠誠の誓い』を知っている(≒暗唱できる)」ことについて非常に重要と回答したのが50%、まあまあ重要を含めれば75%という結果であった。だがこの非常に重要と回答した50%を党派別に見ると、共和党支持者層が71%であるのに対して民主党支持者層は34%と大きく開きが出る。さらに年代別で見ると65歳以上では64%であるのに対して18~20歳の層では38%に留まる結果となっており、政治思想や年代間で考え方に差が出ていることが分かる。

だがこうした結果だけを見て、近い将来にこの国家への忠誠の誓いがなくなっていくとするのは早計かもしれない。今年6月にミネソタ州のセントルイスパーク市の市議会で会議の開始前ごとの「忠誠の誓い」暗唱を止めるという決定をしたところ、市民を含め多くの反発を買い、結局7月に再開することとなった。同市は元々リベラル色の強い地域であり、同市が含まれる選挙区は1963年以来民主党下院議員が選出されている。そういう環境下で市議たちが考えた、新しい住民(人種、国籍、宗教等の点で分散化した)が安心して市に定着できるようにという配慮からの動きだったようだが、まだ愛国心を示すのに、こうした古いやり方が依然として米国の中に深く根付いているということが分かった格好だ。