昨年8月、ワシントンDCに隣接するバージニア州のシャーロッツビルで、南軍司令官リー将軍の銅像撤去を巡り撤去の動きを阻止しようとする白人至上主義者のグループと反対派が衝突。反対派の女性1名が死亡し多数の負傷者が出る事件が発生した。事件から数日後の会見で、トランプ大統領が白人至上主義者のみならず反対派も非難する発言をしたことでさまざまな議論を呼んだ。
この会見で大統領が「(南部の)歴史と文化」と呼んだこれらの銅像の多くは、実は南北戦争後に建てられている。特に黒人の分離(segregation)を図ったジム・クロウ法制定時の1910~20年代、このジム・クロウ法を廃止に追い込んだ公民権運動の時代である50~60年代に集中している。これらの事実から、銅像は南部の文化を象徴するものではなく、白人至上主義を正当化し黒人を抑圧する目的に建てられたとする説が多く存在する。一方で、南北戦争の敗戦の事実を受け入れられない南部各州が主張した「南部の大義(南軍は州の独立を守るという大義の下に勇敢に戦ったが、北軍の物量・兵力に衆寡敵せず敗れた等)」の考え方が根底にあったという説も存在し、その観点から南部の歴史の象徴である像を撤去すべきではないと主張する声も一定層存在する。
銅像の撤去の動きは2015年にサウスカロライナ州で起きた白人至上主義者の青年による銃乱射事件(9名の黒人が死亡)を契機に広がっている。さらにこのシャーロッツビルの事件もその動きに拍車を掛けることとなった。
先日の事件から3カ月後のシャーロッツビルを訪問した。銅像のある小さな公園は閑静な住宅街にあり、事件が起きたことが想像できない。8月の事件以降、市の判断で銅像には黒いビニールシートがかぶせられている。肝心の銅像撤去は裁判所の差し止め命令によって止まったままである。