ポトマック河畔より#13 | 米国とキューバ、54年ぶりの国交正常化

オバマ大統領が7月1日、キューバとの国交回復を正式発表した。1961年に国交を断絶してから54年、両国の関係悪化を決定的にした米国とソ連の冷戦が91年にソ連崩壊で終わってから24年を経て、ようやく米国とキューバの関係は「冷戦の遺物」を解消する。今回は、この歴史的転換点の到来を記念して、米国とキューバの関係を取り上げたい。

これは、丸紅グループ誌『M‐SPIRIT』(2015年8月発行)のコラムとして2015年7月に執筆されたものです。

丸紅米国会社ワシントン事務所長 今村 卓

孤立から関与へ対キューバ政策の大転換

米国は61年にキューバと国交を断絶してから、キューバ制裁法が成立させて厳しい制裁を課すなど、キューバを孤立させる政策を続けてきた。キューバの後ろ盾がソ連であり、62年には米国とソ連が全面核戦争の瀬戸際に立つキューバ危機が生じたのだから無理もない。冷戦中はキューバが米国の安全保障上の脅威だった。しかし91年にソ連が崩壊してキューバが後ろ盾を失って脅威でなくなっても、米国は制裁を緩和せず逆に90年代半ばに強化した。近年はキューバの08年のフィデル・カストロ前国家評議会議長から弟のラウル・カストロ議長への権力委譲を経て米国とキューバの緊張緩和は緩やかに進んでいたが、米国のキューバ政策の根幹は変わらなかった。この背景には、反カストロ派のキューバ系米国人の対キューバ政策への影響力の強さがあったといわれる。

オバマ大統領は、08年の大統領選挙ではキューバとの国交正常化を公約に掲げたが、就任後は対キューバ政策の見直しには慎重だった。しかし、12年4月にコロンビアで開催された米州首脳会議が転機となった。米国はキューバの「民主化が不十分」として会議参加を拒んだことで、オバマ大統領はキューバに同情的な多くのラテンアメリカ諸国首脳の非難の的になったのである。オバマ大統領自身も、キューバを孤立させる政策が行き詰まっているとの認識があったため、ここで思い切って関与への方針転換に踏み切ったとみられる。同年秋に再選されたオバマ大統領は13年春にキューバとの秘密交渉に着手し、両国はカナダなどで18カ月間に計9回の秘密交渉を重ねた。南米アルゼンチン出身のフランシスコ・ローマ法王も仲介に動き、14年12月に両国は国交正常化方針を発表、15年は4月にオバマ大統領とラウル議長が会談、5月末には米国がキューバのテロ支援国指定を解除して、7月1日に国交回復と大使館再開を発表するに至った。

議会の承認が必要な制裁解除の実現は難しそう

キューバとの交渉開始から国交回復までの2年余りは、54年間もの国交断絶の歴史からみれば極めて短い。特に国交正常化交渉は、方針の発表時には難航を予想する声も多かっただけに予想外の進展である。これも、いかに米国の孤立化政策が誤っていたかの表れでもある。しかし、これから先の制裁緩和は、これまでのスピードでは進まない可能性が高い。関与政策への転換には、政権単独で実施できる措置、米国とキューバの政府間の国交正常化交渉、最後が米議会による対キューバ経済制裁法の修正と廃止という三段階があり、最後は政策転換に反対する議員がまだ多いのである。

議会を制する共和党の議員の大部分は、キューバを孤立させる政策は今でも正しいと確信している。オバマ大統領の国交正常化の発表後も、共和党のベイナー下院議長はキューバの政治的民主化が進んでいないとして制裁解除への反対の姿勢を変えていない。キューバ系米国人であり、16年大統領選の共和党の有力候補と目される若手のルビオ上院議員の反発はもっと強硬だ。どちらも、キューバは今でも米国の安全保障上の脅威であり、制裁で民主的政治体制を確立するという半世紀前からの認識を変える必要があるとは思っていない。

世論はオバマ政権の対キューバ政策の転換への支持が多数であるが、有権者の多くは対キューバ政策の転換を急げとまでは思っていないから共和党に再考を迫る圧力が掛かりにくい。産業界も関与政策への支持が多いものの、やはり議会に強く求める政策課題でもない。今後、共和党が支配する議会を動かすには、キューバの民主化が進むという変化が必要になろう。キューバの現体制はそれに強く抵抗しているが、国交回復により急速に増えるであろう米国とキューバの人の往来や限定的とはいえ強まる両国の経済関係が、キューバの変化を促す可能性はある。キューバ系米国人の中でも、米国生まれの若年層に限れば国交正常化の支持が多数という重要な変化も起きている。16年の大統領選と議会選の結果次第では、17年に就任する次期大統領の下で対キューバの関与政策への転換が実現する可能性もあると期待したい。