米国は61年にキューバと国交を断絶してから、キューバ制裁法が成立させて厳しい制裁を課すなど、キューバを孤立させる政策を続けてきた。キューバの後ろ盾がソ連であり、62年には米国とソ連が全面核戦争の瀬戸際に立つキューバ危機が生じたのだから無理もない。冷戦中はキューバが米国の安全保障上の脅威だった。しかし91年にソ連が崩壊してキューバが後ろ盾を失って脅威でなくなっても、米国は制裁を緩和せず逆に90年代半ばに強化した。近年はキューバの08年のフィデル・カストロ前国家評議会議長から弟のラウル・カストロ議長への権力委譲を経て米国とキューバの緊張緩和は緩やかに進んでいたが、米国のキューバ政策の根幹は変わらなかった。この背景には、反カストロ派のキューバ系米国人の対キューバ政策への影響力の強さがあったといわれる。
オバマ大統領は、08年の大統領選挙ではキューバとの国交正常化を公約に掲げたが、就任後は対キューバ政策の見直しには慎重だった。しかし、12年4月にコロンビアで開催された米州首脳会議が転機となった。米国はキューバの「民主化が不十分」として会議参加を拒んだことで、オバマ大統領はキューバに同情的な多くのラテンアメリカ諸国首脳の非難の的になったのである。オバマ大統領自身も、キューバを孤立させる政策が行き詰まっているとの認識があったため、ここで思い切って関与への方針転換に踏み切ったとみられる。同年秋に再選されたオバマ大統領は13年春にキューバとの秘密交渉に着手し、両国はカナダなどで18カ月間に計9回の秘密交渉を重ねた。南米アルゼンチン出身のフランシスコ・ローマ法王も仲介に動き、14年12月に両国は国交正常化方針を発表、15年は4月にオバマ大統領とラウル議長が会談、5月末には米国がキューバのテロ支援国指定を解除して、7月1日に国交回復と大使館再開を発表するに至った。