命を守る仕事

“命を守る仕事”の出発点を見に

これは人の命を守る仕事である。

事前にそんな説明を聞いて、「なんと大袈裟な」と思った。しかし現場を見て、人の話を聞くうちに、それが決してオーバーではないという気になった。これから書くのは心変わりの経緯でもある。

目的地であるチリ北部の街イキケに着いたのは東京を出て36時間後。そこから四輪駆動車に乗り、デコボコ道を耐えて、「出発点」にようやくたどり着いた。が、目の前にあるのはなんの変哲もない小屋。「これを見るために、あんな苦労したのか」と思わずにいられない。

小屋の中にはポンプがあって、地下200〜300メートルにある帯水層から毎秒103リットルの水を汲み上げている。ポンプが汲み上げた水は、そばにあるコパと呼ばれるタンクに集められる。コパが置かれているのは標高1100メートルの地点。そこから水は高低差を利用して、地中に埋められた80キロメートルに及ぶパイプラインの中を下っていく。途中、浄水処理をしてようやくイキケを始めとする約17万世帯に届く。

こうした取水と上水生産、上水配水、下水集水、下水処理に加え、水道料金の請求と徴収、カスタマーサポートの一切を引き受けているのがAguas del Altiplano(ADA)である。

仕事場は砂漠、極寒、地震地帯

チリは水事業が完全に自由化されている。16に分かれる各州が民間事業者に委託する形だ。丸紅は2006年、Aguas Decimaという会社を買収してこの市場に参入した。10年には同国第3位(世帯数ベース)の水事業会社Aguas Nuevas S.A.(AN)を追加買収し、事業を拡大した。ADAはAN傘下の4つの会社のうちの1つである。

ANグループが受託しているのは合計5州。ADAは第1州と第15州を請け負い、他の傘下企業である「Nueva Atacama S.A.」は第3州(約10万世帯)、「Aguas Araucania」は第9州(約26万世帯)、「Aguas Magallanes」は最南端の第12州(約6万世帯)で事業を営んでいる。

チリは長細い地形で、南北約4300㎞にわたって国土が広がる。これが日本−シンガポール間の距離に相当すると言えば、例えば北端で事業を営むADA社と南端のAguas Magallanes社が全く異なる環境下で日常業務をこなしていることがわかるだろう。

ADAは1年を通してほとんど雨が降らない砂漠地帯で水事業を営む。水源は限られているし、水が人の喉を潤すには長旅をしなければならない。それに加え汲み上げた水にはミネラルやヒ素が含まれる。そこで一滴を大切に取り扱い、不純物を確実に取り除かなければ住民の生活は成り立たないのだ。

2014年4月1日、マグニチュード8を超える地震がイキケを襲い、一帯が断水した。パイプラインの破損、停電、道路封鎖、物流網寸断による水処理用薬剤の不足。三重苦、四重苦の中でADAの前トップSergio Fuentesはライフラインを復旧させようと不眠不休で格闘した。精根尽き果て、倒れこむように寝ていると、視察で訪れた政府関係者に「この大事な時に、よく寝ていられるな」と言われたという。今となっては笑い話だが、それほどの仕事なのである。

「ちっぽけな情報」の持つ可能性

“命を守る仕事”という言葉に少し実感が湧いてきたところで訪れたのはコントロールセンターだった。ここでも考えを変えさせられる光景に出くわした。

目の前にある大きなモニター画面には取水や配水の状況だけでなく、不具合発生箇所やその対応状況などがリアルタイムで表示されている。「技術に関わるクレームが直近24時間に66件あったようです。ほとんどは遠隔操作で問題を解決していますが、例えば管が破裂しているといった事態なら、従業員を派遣して解決します」。丸紅からの駐在員(当時)、杉本和駿がそう教えてくれた。

「商社がこんなことをやるんだ」。そう思った。なぜなら商社のビジネスは「バルク」であり「BtoB」だというイメージがあるのに、杉本氏が「1日で66件のクレームがあった」などと言うからだ。しかししばらくして、この「ちっぽけな情報」が実は重要なものではないかと思うようになった。

データの資産としての価値が広く認識されるようになって久しい。「ちっぽけな情報」を集めることが企業の生き残りのカギを握る時代になりつつある。ADAが日々積み重ねているきめ細かなデータ取得という作業は、商社にこれまでなかった知見やノウハウとして活用されるのではないかと感じたのだ。

取水、浄化・配水からカスタマーサポートまでを一貫して手がけているからこそ、こうしたデータ取得は意味を持つ。それを「縦糸」とするならば、ADAには「横糸」も通っている。

世界横断でのノウハウの掛け合わせ

砂漠の地中から汲み上げられた貴重な水は、その全てが収益に結びつくわけではない。例えば各家庭に取り付けられたメーターが正常に作動しないとか、パイプラインから水漏れしたとかいった事態は起きる。盗水だってある。こうした収益を生まない水、すなわち「無収水」をいかに減らすかはADAにとってかねてからの課題だった。

15年に状況は変わった。丸紅が出資するポルトガルの水事業会社AGS-Administração e Gestão de Sistemas de Salubridade, S.A.(AGS)がANに水道管網をきめ細かく管理するノウハウを提供したことで、無収水率は劇的に低下した。「丸紅がANの経営に参画したことでファイナンスが容易になるなどのメリットも享受しましたが、AGSのノウハウを手にすることが出来たのは非常に大きなものでした」ANのCEO、Salvador Villarinoは語る。

“命を守る仕事”の意味

駆け足での取材を終えて帰路についた。飛行機は雲ひとつない空を飛ぶ。窓から下を覗き込むと、草木の生えない岩山がこれでもかというほど続き、時々、思い出したかのように街が現れるのが見えた。

昔の人は険しい岩山を彷徨い、ようやく見つけたわずかばかりの平地で暮らし始めた。眼下の小さな町で生活している人々はその子孫だろう。そんな空想をしていると、Villarino CEOの発言が蘇ってきた。「ANの従業員の息子さんが、作文で『僕の父さんは一番大事な仕事をしている人です』と書いたことがあります」

蛇口をひねれば当たり前に水が出てくる日本では想像がつかないだろうが、強烈に乾燥したチリの大地で生きていくのに水はとてつもなく貴重である。その水を絶えず供給するという仕事をADAひいては丸紅は担っている。

“命を守る仕事”という言葉に得心がいったところで、ADAという現場の持つ意味が次々と浮かんできた。それは未来の商社のひな型を想起させる場であり、丸紅が掲げる会社の在り姿「グローバル クロスバリュー プラットフォーム」を実践している場である。苦労が伴った長旅には、それに相応しい気づきがあった。

(本文は、2018年12月の取材をもとに作成しています)