丸紅の歴史丸紅ゆかりの先人たち
創業者
伊藤 忠兵衛(1842年~1903年)
五代伊藤長兵衛の次男として生まれる。1858(安政5)年、忠兵衛は15歳で「持ち下り商い」といわれる出張卸販売に出発した。この年をもって、丸紅創業の年と考えられている。
1872(明治5)年、忠兵衛は大阪・船場に呉服太物商「紅忠」を開店し、経営基盤を固めた。
また、1890(明治23)年には、早くも対米雑貨輸出に着手した。
一方で、利益三分主義の徹底や店法の整備を通じて主従の職分を明示すると同時に、優れた人材の育成・登用にも才覚を見せた。1891(明治24)年には、豊郷村の村長に推され、主に教育問題に注力した。
丸紅商店初代社長
九代 伊藤 長兵衛(1868年~1941年)
伊藤忠兵衛の10歳年上の兄・六代伊藤長兵衛の家督を継いだ九代長兵衛は、1919(大正8)年に大阪に進出。恐慌により苦境に陥った伊藤忠商店との合併が持ち上がり、1921(大正10)年、伊藤長兵衛商店と伊藤忠商店が合併して丸紅商店が誕生した。丸紅商店の初代社長には、九代長兵衛が就任した。
九代長兵衛は、1909(明治42)年から3年間豊郷村長を務め、1925(大正14)年には私財を投じて同地に豊郷病院を設立するなど、温厚篤実な篤志家としても知られている。
丸紅商店専務
古川 鉄治郎(1878年~1940年)
伊藤忠兵衛の甥。丸紅商店の専務に就任し、与信制度や予算制度の導入など近代的な経営管理を導入する一方、丸紅精神五カ条を定めて共存共栄と創意工夫を尊ぶ社風の醸成に尽くした。
1928(昭和3)年に行った海外視察を契機に、豊郷村の初等教育充実を重視するに至った。1937(昭和12)年に落成した豊郷小学校の建設をはじめ、教員住宅の改築、小学校の食堂建設など数々の事業を私財を投じた寄付により実現した。
丸紅株式会社初代社長
市川 忍(1897年~1973年)
丸紅株式会社(Marubeni Company, Ltd.)の初代社長。発足直後の困難な時期を乗り切り、海外支店網整備やさまざまな新規分野への進出、髙島屋飯田との合併などにより当社の総合化を果たし、今日の丸紅の基盤を築いた。
会社が発足した1949年12月1日、「先ず第一に『正しくあれ』」「常に『新しくあれ』」「最も望ましい事は『和』である」という主旨の訓示を行った。ここで述べられた「正・新・和」の経営の指導精神は、今日に至るまで丸紅の社是として受け継がれている。