Scope#20 | フィリピン奨学基金

フィリピンの学生に社会的な力を。波及する丸紅奨学基金の影響

By James Simms

TARLAC, Philippines — 17歳のCarl Vegaは、頭を抱えながら涙を浮かべ、マニラ北部にある木と竹でできた彼の家の、波打ったトタン屋根の上に座っていた。

高校をやめなければならないと、母親に告げられたのである。癌を患った祖父と病気の祖母の面倒をみるため、Carlの母親が政府関係の仕事をやめなければならず、学費を支払う余裕がなくなるからだ。そう言われたときCarlは、コンピューターエンジニアになる夢は永遠に消え果ててしまったと思った。

多くの発展途上国や工業国では、教育を受けたいと願う子供たちの気持ちは一瞬にして断ち切られる。経済的な理由だけでなく、能力や意欲が足りないことも原因だが、単にそれが彼らの運命であることもある。

1990年頃まで東南アジアにおける教育成果をもたらしてきたフィリピンではまさに、経済的に不利な学生と恵まれた学生、そして地方と都会の学生の間での格差が開いている。 2016年のユネスコとユニセフの共同研究によると、家庭の資金力や、失業、重病、そして離婚などの家庭における大きな変化は、国の就学率や修了率を下落させる大きな要因であるという。

この成果を改善するため、近年フィリピン政府は、正規の学校教育を10年から13年に引き上げるなど、教育に関する予算を増やし改革案を可決してきた。しかし、牽引力はあるものの、 人口およそ1億人のうち3分の1が15歳未満であるこの国では、教育へのニーズは依然として圧倒的だ。

Carlの場合、カトリックの私立学校であるTarlac市のDon Bosco Technical Instituteを経済的な理由で辞めていたら、彼と家族の人生は永久に変わってしまっていたかもしれない。そこへ、運命が再び介入した。全く同じ日のことである。

「母に、もうお金がないのでこれ以上Don Boscoに行かせることはできない、と言われた後、私はひとり屋根の上で泣いていました。」こみ上げる涙と共に、Carlは言った。「すると、Don Boscoに友人を持つ叔母が、それなら奨学金をもらおうと言ったのです。」

マニラに拠点を置く丸紅奨学基金がスポンサーをしているその奨学金は、Carlに中等教育を修了させただけでなく、2003年、別の補助金によって大学へ進学するための布石を打ったのである。現在米国の多国籍企業で、シニアITセキュリティアナリストとして働いているCarlは、両親のために借金を返済し、新しい家を建て、また2人の兄弟を大学に行かせた。「丸紅の奨学金は私にとって大きな救いであり、恵みでした。」タイル貼りのテラスで、大学卒業後、最初の仕事の最初のボーナスで買った椅子に座り、Carlはそう語った。

高校の物理学教師であるArnulfo Castro氏は、Carlは最も頭が切れる学生のひとりであったと言う。「思い返すと、彼はコンピューターエンジニアになりたかったのだとわかりました。だから非常に勉強熱心だったのです。」Castro氏はこう続ける。「丸紅は彼を支援しただけでなく、彼を駆り立て、エンジニアになりたいという願望を成し遂げさせてくれました。そして丸紅が彼を支援したように、今度は彼が、また誰かを支援したのです。」

1989年、現地で創立80周年を迎えようとしていた丸紅フィリピン会社は、建設や電子工学、自動車修理、そしてホスピタリティなど、職業技術教育を求める学生を支援するために、200,000ドルの基金を設立した。対して、企業が資金援助するほとんどのプログラムは、通常のアカデミックなコースに焦点を当てている。それ以来、丸紅は基金に対し更に850,000ドルを投資し、そのミッションを小学校の機能改善にまで拡大した。

「職業技術コース(ブルーカラーと呼ばれる職種)の修了生の就職率は簡単に80%〜90%まで伸びますが、政治学やマーケティングなど、大学レベルのコースの卒業生は飛び抜けて優秀でない限り仕事に就くことが難しく、就職率はわずか10%か20%にまで落ち込みます。」基金の会長でありベテラン幹部であるJose Sandejas氏はそう語る。

丸紅奨学基金の副会計責任者であるJocelyn Dee氏は、フィリピンの平均的な労働者の2〜6ヶ月分の給与に相当する補助金を2,500以上も提供してきた本プログラムの当初のゴールは、受給者の自立を促し、そして彼らの家族を助けることであったと言う。「私たちは奨学生のその後の話をよく聞くのですが、卒業し就職した後、彼らは一番初めに両親を助けるんですよ。それからその後に、兄弟が教育を受けられるように手助けをしています。」

丸紅の奨学生の一人であるFrancis Linsanganのケースも同じだ。

Francisは、マニラの中でも最も貧しい地域にある、奨学生専用職業技術学校Father Pierre Tritz Institute-ERDA Techに通っていた。(実際、昼食を買うお金がない生徒に対し学校が給食を提供し始める前は、栄養が足りず授業中に気絶する生徒もいるほどだった。)

Francisは学校に通っている間、学んだ技術をすぐに活用し、テレビのような電子機器を近所の人々のために修理してポケットマネーを稼いだと話す。現在半導体製造エンジニアとして働くFrancisは、学校で電気工学を学んだ後、兄弟を大学に行かせ、父親のために家の外の路上でホーカー(食品屋台)をオープンした。

「奨学金のおかげで、私たち家族のより良い未来が描けています。自分の夢が徐々に現実になりつつあるんです。例えば良い仕事に就く、つまり、電子機器会社で安定した職を得るということです。」半導体工場で、白く清潔な作業服を身にまとい、Francisは語る。

教育は、人生の目標を達成し、家族を助け、そして国の労働者の競争力を強化する手段であるだけではない。他人に対し正しく接し、真っ当な道を歩んでいくための方法でもある。「もし学生たちが高等教育を受けるための援助を得られなかったら、彼らの多くは刑務所にいるか、路上生活者となるか、そうでなければ死んでいたかもしれません。私たちはこれからも、スポンサーの力を借りながら、学生たちの支援を続けます。」ERDA Techの学長であるPeter Magsalin氏はそう話す。

丸紅フィリピン会社の多胡直人社長は、基金の資金増加や、可能であれば奨学生の雇用を確保するなどの事業スコープの拡大を行いたいと述べている。奨学金受給者と面会し、また支援している学校から肯定的なフィードバックを受けた多胡社長は、こう話す。「感銘を受けました。ですが、もっと多くの活動を行う余地があると信じています。」