Scope#04 | North Pacific Seafoods

アラスカの天然魚を世界各地の食卓へ

アラスカの大自然、人々、ビジネスの持続可能性を守り続ける、North Pacific Seafoods

巻き網漁船の船長は、小舟に乗って待機していた乗組員に作業開始の合図を送る。小舟は動きだし、大きな弧を描くようにして、母船から網を引っ張りながら水面を移動する。およそ15分後、水面下で袋状になっている網の底を、ほかの乗組員たちがしっかりと閉じる。網の袋が捕えたのは、カラフトマスの群れだ。18カ月のあいだ大海で生き抜いて、アフォグナック島のキトイ湾に戻ってきた。

10時間も経たないうちに、水揚げされた魚はNorth Pacific Seafoods社(以下NPSI)のコディアック工場で加工される。頭と臓物の除去は機械が行うが、残った骨や血合いを取り除く丁寧な仕上げと魚の仕分けは、高い技術を身につけた工員による手作業だ。処理された魚は冷凍庫へ送られるか、生のまま出荷される。数日後には、グリルまたはソテーされた同社のフレッシュなサーモンが、どこかで誰かの食卓に並ぶのだ。

国連食糧農業機関が2016年7月に発表した調査によると、世界の人々が1年間に消費する魚の量が、初めて20キログラムを上回った。肉の消費大国である米国もその例外ではなく、人々の健康志向が高まるにつれて、魚の消費量が増加している。

商品の形態もすっかり様変わりした。冷凍設備がない頃は缶詰製品が主流だったが、冷凍技術が確立し、航空輸送も可能となった今ではフィレ(半身)やH&G(頭と臓物を除去した状態)、冷凍しないで生のまま売る商品など、さまざまなかたちで取り引きされている。米国市場でも鮭のおいしさと食べ方が広がり、缶詰の鮭はサラダやキャセロール鍋の具として食され、生鮮や冷凍の鮭はメイン料理として皿の真ん中に置かれるようになった。

「産地から生のまま直送される『旬の魚』を味わうという楽しみ方を、小売業界は上手にアピールしてきました」そう話すのは、水産業界ひとすじの大ベテランで、NPSIでの在籍期間も20年を超える、副社長の矢澤栄介だ。5月に獲れるアラスカ産紅鮭の「初物」は、脂がのっていておいしい。矢澤の話によると、今ではシアトルをはじめとする米国の都市へ生の商品として空輸され、高値がつくそうだ。

シアトルに本社を構えるNPSIは、アラスカで獲れる水産物を商品として幅広く生産し、国内および海外の市場に向けて販売している。丸紅の子会社として1972年に設立されて以来、同社は生産拠点の拡大、商品形態の多様化、市場の開拓を続けてきた。現在、アラスカ産の水産市場において10パーセントのシェアを誇る。

2015年に新たに2つの工場を買収し、生産拠点は7カ所に増えた。すべての工場がアラスカの主要な漁場にあり、沿岸部に立地している。そのひとつであるコディアック工場は多品種を加工するため、1年を通じて操業する。冬は真鱈やスケソウダラに加えてカニの加工を行なうが、夏の繁忙期は鮭が中心だ。

NPSIは1995年、複数の水産食品企業とともにコディアック・フィッシュミール・カンパニー(KFC)を立ち上げた。コディアック工場での魚の処理において生じる副産物はすみやかにKFCへ送られ、魚油や魚粉として生まれ変わる。これらは畜産や農業、魚介類の養殖において活用されている。

崖っぷちからの復活:乱獲の時代を経て再生した鮭漁

鮭の世界的な消費量は1980年当時から3倍に膨らんでいるが、これは養殖ビジネスの急成長によるところが大きい。今や市場の70パーセントを養殖の鮭が占めるようになった。ノルウェーとチリが養殖の2大生産者として君臨する一方で、NPSIのあるアラスカを含む米国、日本、ロシア、カナダは天然の鮭漁を続けている。

「アラスカの漁業は、世界的に見て最高水準で管理されています。」そう話すのは、水産マーケティングの専門家で、アラスカ大学フェアバンクス校の研究機関「コディアック海洋水産センター」で教鞭をとるクエンティン・フォン博士だ。アラスカの漁業は、州政府および連邦政府によって保護・管理されている。両政府が基本原則として掲げているのは、子孫を残していくのに十分な数の魚が海の中に残っているようにすることだ。

アラスカで徹底的に実践されている持続可能な漁業は、アラスカ海域の生態系を科学的にモニタリングすることを基本としている。魚類の養殖が禁じられているため、アラスカで獲れる魚はすべて天然だ。汚染されずに自然の美しさを保っている海から水揚げされる。「アラスカ湾の魚は、どの種類もまったく乱獲されていません。したがって、アラスカにとっては持続可能性自体がマーケティング上の大きな強みになっているのです」とフォン博士は語る。

アラスカの漁業は、米国における年間総水揚げ量の半分以上を供給している。ところが同州では、かつて漁業が拡大し続けた結果、20世紀前半に鮭の乱獲が進み、非常に厳しい時代を経験した。1959年にアラスカが米国の州に昇格すると、鮭の現存量を復活させるために、州と国の両レベルにおいて、さまざまな施策が講じられた。

そのひとつが、マグナソン・スティーブンス漁業保存管理法だ。米国の領海における漁業資源を保護・管理するための主たる法律として、1976年に制定された。この法律によって、米国の排他的経済水域は沿岸から200海里まで拡張され、結果として公海漁業が終焉を迎えることになり、特に外国船が締め出された。こうして適切に規制される以前は、公海漁業が鮭の個体数を脅かし続けていた。漁師たちがなんでもかんでも ──どの鮭がアラスカに遡上しようとしているかなどお構いなしに── 大量に釣り上げるような漁が盛んに行なわれていたからだ。

漁ができる時間と場所、使用できる漁具など、すでに運用が進んでいた規制に加え、アラスカ州政府は鮭漁を許可する漁船の数を制限した。一方で、「アラスカ鮭の発育強化プログラム」を創設し、鮭が遡上するまでの流れが自然の力で回復するように、その手助けをしている。同プログラムの要である孵化場では、より多くの鮭が回帰するように、孵化および稚魚の飼育・放流が行なわれている。

「過去10年間のアラスカにおける鮭の持続生産量の平均は、歴史上のどの時期と比べても高いです」そう話すのは、NPSIの社長を務めるジョン・ガーナーだ。アラスカで生まれ育ち、13歳で漁業の道に入ったガーナーは、1981年に仲間の漁師たちとともに水産加工会社を立ち上げて以来、この業界で活躍してきた。

“フィッシュ・ファースト”

鮭はアラスカを象徴する魚であり、NPSIにとっては事業の柱である。鮭は金額ベースで同社の売り上げに最も貢献しており、年間売上高の50パーセント以上を占める。だが、スケソウダラや真鱈のように漁獲割当によって管理される漁に比べると、鮭漁は難しいとガーナーは指摘した。スケソウダラや真鱈は超音波技術を使って資源量を測定することが可能だが、鮭は回遊魚であり、大群では移動しないという性質を持つため、海中にどれくらい鮭がいるのかを測定する手段はない。つまり、最初の鮭が岸へ上がってきたところでようやく、州政府の科学者たちによる調査が始まるのだ。彼らは様々な情報を使い、漁ができる時間と場所、漁場を閉鎖するタイミングなど、鮭の管理に関する決定を下す。遡上した鮭の数が少なければ、その年の漁は短くなることを意味する。

しかし、NPSIのような加工会社は、魚を供給してくれる船や工場で加工にあたる工員たちを、最初の鮭が現れる前から確保しておかなければならない。「どのような展開になるかに関わらず、アラスカでは万全の準備をしておかなければなりません。」とガーナーは言う。同社の生産拠点の中には、きわめて遠隔地に立地する工場があり、その付近の漁場に遡上する鮭の漁は、たった2週間でその85パーセントが終わってしまう。「このような環境で操業する場合、状況に応じてその都度人材や物流を手配し直すような余裕はありません」そう話すと、ガーナーはさらにこう付け加えた。「だからこそ、我々がもっとも大切にしなければならないのは人材なのです。当社には、こうした難しいオペレーションをこなせる経験豊富なベテランのスタッフがいます」

漁師とともに築く長期的なパートナー関係

そのひとりが、マット・モイヤーだ。1987年にコディアック工場で働き始め、現在は工場長を務める。アイオワ生まれ、ミネソタ育ちの彼は、高校卒業の記念に大叔父夫妻を訪ねてキナイ半島へ行き、アラスカに魅了されてしまった。本土の大学で自然科学を学びながら、毎年夏になるとアラスカへ戻って水産加工工場で働き、学費を稼いだ。大学を卒業すると、アラスカで職を求めることに決めた。NPSIに入社する以前、カニ漁船の乗組員として数年間働いた。

「漁の季節が始まったばかりの段階では、どうなるかわからない変動要因がたくさんあります」とマイヤーは話す。これらの“変動要因”には、気象状況や海水温度、潮流、水揚げ量、オスとメスの比率などが含まれる。「ある程度予測はできますが、これらの変動要因が実際にどう絡み合ってどのような結果をもたらすのか、その時点ではわかりません」

漁師も加工工場も、特に鮭の季節は昼夜を問わず操業し、大忙しだ。コディアックの工場長としていくつもの重責を担うモイヤーにとって、漁船との良好な関係を維持することは、その大事な仕事のひとつである。同工場では年間約170隻の漁船から魚を買いつけているが、こうした漁船の漁師たちはみな、それぞれが独立したビジネスマンなのだ

「漁師たちの多くは、自分の意思で好きなように、ほかの加工会社に魚を売っていいのだとわかっていても、やはり特定の会社と仕事をすることを選びますね。長い時間をかけて、その会社と関係を築いてきたのですから」そう話すのは、45年の漁師歴を誇るジェイ・スティンソンだ。彼が所有する全長73フィートの「アラスカン」は、スケソウダラや真鱈、オヒョウの漁に使う。鮭漁の漁船としては大きすぎるので、夏期は「鮭のテンダー船」として、漁船から買いつけた魚を加工会社に運んでいる。

目先の利益を最大化することに力を注ぐ漁師もいるが、スティンソンはNPSIとの仕事を通じて実感するビジネスの継続性と人間関係の奥深さが好きなのだと語った。「我々は全員、長期的な視野を持ってこのビジネスにコミットしているという共通認識があるのです。まさにこのことはビジネスの継続性を高めますし、このようなレベルの継続性は、規模の小さな企業では経験できません」とスティンソンは言う。

すべての人に安心・安全を保証

NPSIが成功を続けるうえで、漁師との良好な関係を構築することと同じくらい重要なことは、水産加工に従事する優れた人材を、同社の全拠点において確保することだ。年間を通じて操業を続ける工場では、工員の多くは地域コミュニティーの住民だが、ある特定の季節においてのみ漁が行なわれる地域では操業期間が限られており、そうした工場では季節ごとに工員を採用する。彼らの多くは“ロウワー48”(アラスカは米国第49番目の州なので、本土のことをそう呼ぶ)や海外から集まってくる。

工員の安全を守り、商品が健全で高品質であることを保証することは、「我々経営陣の、あるべき姿として当然のこと」だとモイヤーは言う。NPSIは、ARFM (Alaska Responsible Fisheries Management)、MSC (Marine Stewardship Council)、BRC (British Retail Consortium) をはじめとする世界的な監査機関のプログラムに参加し、認証を受けている。これらのプログラムは、食品の安全と品質、水産資源の持続可能性、職場の倫理において、いずれも高い水準を満たしている企業に認証を与える。

「当社と長期的な関わりを持つすべての関係者 ──米国および世界各地の取引先、ビジネスパートナー、アラスカとシアトルの地域コミュニティー、そして当社の従業員── にとって、より大きなメリットが感じられるようにすることが、私の使命です」。NPSIの田口和夫会長はそう言い切る。「持続可能性は、水産資源の保護だけに留まりません。我々のビジネスのあらゆる側面において、持続可能性が求められます。長年働き続けてくれている社員たちの存在は、まさに当社が持つ最良の資産のひとつなのです。」

(本文は、2016年8月の取材をもとに作成しています)